菊に盃(3)

 日本で非常に愛好された白菊が原産地の大陸で不振だった理由は、菊の本来の色は黄であるという意識が強く、それは『礼記』(月令)に「季秋之月……鞠有黄華」(九月には……菊に黄色の花が咲く)とあることに由来するのでしょう。范成大『范村菊譜』では、

菊有黄白二種、而以黄為正。人於牡丹、独曰花、而不名。好事者於菊、亦但曰黄花。皆所以珍異之。故余譜先黄而後白。

(「後序」)――菊には黄と白の二種があって、黄の方を「正」とする。人々は牡丹をただ「花」と呼んで花の名は言わず、菊の場合も好事家はただ「黄花」といっている。いずれも花として珍重しているからだ。だから私のこの『菊譜』でも黄菊を先にして、白菊を後にした――と、はっきり黄・白の優劣をつけています。
 ただ、理念としてそうだということとは別に、現実には鑑賞に堪えうる白菊が大陸には少なかったのかもしれません。唐の詩人、許棠の「白菊」詩の尾聯には「人間稀有此 自古乃無詩」(世間では白菊は稀にしかなく、昔からこの花を詩に詠むことはなかった)とあります。
 日本では黄・白の優劣は特に問題にならなかったように思えますが、『菊譜』のような外国の美意識への対抗心でしょうか、白菊が列島の名産であるという考えが前面に押し出されるようになります。

白菊は国産を上とす。邦人も是を自負して菊の詠歌必白菊をよめり。劉蒙菊譜に倭菊といへるは、即しら菊なり。

(奈須恒徳『本朝医談』初編)