今年の曲水の宴の題「寄衣恋」の「衣」

 記事では「衣」を「きぬ」と読んでいますが。

 ゴールデンウイーク初日の29日、京都市伏見区の城南宮で、平安時代の貴族の衣装を着た歌人らが、庭園の小川のそばで歌会をする「曲水の宴(うたげ)」があった。琴や笛の調べが流れる中、約2000人の参拝客が宴を見守り、優雅な雰囲気を楽しんだ。
 当時の歌合わせを再現したもので、900年前の歌会でも用いられたのと同じ「寄衣恋(きぬによするこい)」が歌題とされた。狩衣(かりぎぬ)や小袿(こうちぎ)など色鮮やかな装束をまとった男女7人の歌人が、曲がりくねった小川のそばに座り、鳥の形をした台に載った、神酒で満たされた盃が流れ着く間に、和歌を詠んだ。

http://mainichi.jp/area/kyoto/news/20100430ddlk26040220000c.html

 私の思い違いなのかどうか、王朝和歌に詳しい方の御教示をいただければ幸いなのですが、和歌においては「衣」は「ころも」と読む例が非常に多く、特に平安後期になると「きぬ」と読むのは一部の例外を除いてあまりないように思います。ただ、逆に散文では「きぬ」ばかり使われているので歌題では「衣」を「きぬ」と読む約束があるのでしょうか。
 ちなみに、900年前の歌会でも使われたというのは、おそらく天仁三年(1110年)四月の山家五番歌合のことを指すと思われます。