『筆禍史』

 宮武外骨『筆禍史』は、扱っている時代が自分とはあまり関係ないものだと思って(思いこんで)いたので、今まで目を通すことはありませんでした。とある事情で参照を要することが出てきたため、手にしてみたら(1926年改訂増補版)たしかに本編中はほとんど近世以降のものを取り上げているのですが、冒頭には「中古時代の筆禍者」の一章がもうけられていたのが興味深かった。

小野 篁     西道謡
恵心僧都     往生要集
藤原通憲     安禄山事実図
木曽大夫房覚明  牒状
源空      選択本願念仏集
藤原光親     北条義時討伐詔書
日蓮上人     立正安国論
釈円月      日本書
虚空無一左衛門  落書

 あと、ここに漏れている(「此筆禍史の主とする所は、徳川時代之版本絵草紙等にあり随つて中古時代の事には遺漏多かるべし」)なかで割と有名なのは、藤原定家が承久二年二月十三日の内裏歌合において「野外柳」の題で「道の辺の 野原の柳 下もえぬ あはれ嘆きの けぶりくらべに」と詠んで後鳥羽院の怒りを買った一件が挙げられるでしょうか。これは、左遷の恨み言を裏に込めた歌と理解されていた道真詠「道の辺の 朽木の柳 春来れば あはれ昔と 偲ばれぞする」(『新撰朗詠集』春・柳、『新古今集』雑歌上)の本歌取だと捉えられて逆鱗に触れてしまったわけですね。

『往生要集』で筆禍?

 外骨が挙げている例でよくわからなかったのは源信(恵心僧都)の『往生要集』です。

次に永観二年恵心僧都こと源信が、其著『往生要集』に地獄の状態といへるを記述せしは、無稽の変相を描出したるなりとて、円融天皇の御咎めを受けたりと聞けり、されど其伝説の正否不詳なり

といい、頭注で「恵心僧都の伝」を引いて、

往生要集は始て厭離穢土欣求浄土の旨を示して菩提心を勧め給ふ云々、円融帝の御后藤の詮子御所望によつて地獄餓鬼畜生等の形勢を絵にあらはし叡覧にそなへ給ふに帝をはじめ奉り局方に至るまで拝見ましまし御感のあまり紫宸殿にかけおき給ふに毎夜深更におよんで地獄の責苦餓鬼の苦み各々声を発し宮中の諸人肝を消し魂を失ひたまふ故に恵心院に返させ給ふ

というのは聞いたことのない逸話でした。確かめてみると、少なくとも、今津本源信伝や『本朝法華験記』『続本朝往生伝』『今昔物語集』等の古い源信伝に見える話ではなく、『恵心僧都全集 第五巻』所収の「慧心院源信僧都行実」には見られるもの(681頁)でした。
 これ、どこまで遡ることのできる説話なのでしょうか。