変わったかたちの顔真卿の楷書

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 はてなブックマーク - 活字体のように書く必要はあるのか――「結」の場合 - Cask Strength
 書写(筆写)体と活字の形が異なるなどというのはよくあることなのですが、では活字のような形はどこから来たのかといえば、顔真卿(709年〜785年)の書く字によく似ているものが多い。
 顔真卿は楷書において篆書のかたちに近づけようと書いていたことはよく知られていて、伝統的な楷書体と比べると異質な要素が見られます。
 たとえば「歳」。みなさんがこの字を書く時は、上の部分を「止」と書きますよね?そして、字に詳しい人なら(旧字体の「歳」字を再現すべく)下の中の部分を「小」ではなく「少」のようなかたちに書く人もいらっしゃるでしょう。
 実際どうでしょうか。

 (『書道大字典 上』1214頁)御覧の通り、ほとんどの場合、上の部分は「山」でして、下の部分は「小」です。学校の漢字書き取りテストで上の部分を「山」にして回答したらバツが来ます。でも、これが千数百年間の通行の字体であった。
 上の画像で赤枠で囲った字が顔真卿の作品「多宝塔碑文」に見られる字。↓実際の拓本で

 (余談ですが、「髪」の字も下の部分はこうではなく普通は「火」のように書くことが多いですね)これこそ私たちにとって模範的な「歳」字のように見えますが、手書きや石刻の歴史のなかではなかなかの変わり者だというのは字典を見ての通り。おもしろいことに、「多宝塔碑文」で他二箇所に出てくる「歳」の字形はいずれも伝統に則っているのですが。
 顔真卿の字のなかでも特に興味深いのは「所」です。

 (『書道大辞典 上』908頁)活字のような「所」なんてほとんどないじゃん!顔真卿「顔勤礼碑文」等の例を除いては。
 毛筆で書く時は、『干禄字書』の正字や活字体のように書いても別にいいのですけど、篆書的な要素が紛れ込んでいるものは本来の書写体の楷書のかたちとは違うかもしれない、と少し注意しておくと習字の際に役に立つかもしれません。