王羲之の書簡に登場する「大」(王邵か)一覧

 内容は「(便)大報期転呈也。知/不快。当由情感如佳。吾/日弊。為爾解日耳」と読み取れ、「大(親類の名)に関するしらせは、期(き)(羲之の子の名)が連絡してきました。ご不快のご様子。心の赴くまま、情感に従うのがよろしいかと存じます。私は日々疲れております。あなたのために日々を過ごしているだけです」と理解できる。

http://mainichi.jp/feature/news/20130108ddm001040050000c.html

【追記】http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2013010800392&p=0130108at15&rel=pv に画像が出ていました。

【追記】http://blog.sina.com.cn/s/blog_59d2437e0102e9po.html によると「妹至帖」の後半部分ではないかと。いやはや!

 「大」は、中田勇次郎氏*1や森野繁夫氏・佐藤利行氏の考証によると、王邵(王導の子。字は敬倫。幼名は「大奴」)を指すとされます(「期」が息子かどうかはあえてツッコミは入れません)。王羲之とは同世代ということになるのかな。
 王羲之の書簡文は『二王帖』『淳化閣帖』等の法帖や『右軍書記』、または日本に伝来した模本などによって見ることができ、『増補改訂 王羲之全書翰』(白帝社)は695条の書簡を収めています。

王羲之全書翰

王羲之全書翰

 真筆は残っていませんが、これだけの数の書簡が残ったというのは、ひとえに王羲之の書に対する尊崇によるものにほかなりません。
 前掲『増補改訂 王羲之全書翰』の人名索引によれば、王邵に言及されている書簡は9条、そのうち「大奴」と表わされているのは1条、「大」は5条。

・・・得大等書、慰心。今因書也。野数言疏、平安。定太宰中郎。

(「司州帖」41頁)――大たちから手紙をもらって、安心しました。今、それでお便りした次第です。野もしばしば便りをくれますが、無事なようで、太宰の中郎に決まったようです。

(上海博物館教育部編『淳化閣帖最善本 王羲之法書選』「望無理或復是福得」/「大等書慰心今因書也野」)「大観帖では私、福二字は書法が正しく書かれているが、淳化ではそれを誤つている。このことは清の翁方綱が大観帖の題跋の中に指摘している」(『王羲之を中心とする法帖の研究』116頁)

・・・餘親親皆佳。大奴以還呉也。冀或見之。

(「太常帖」43頁)――他の者たちもみんな元気です。大奴は呉に帰るそうなので、できれば会いたいものです。

(「平復此慶々可言餘親」/「皆佳大奴以還呉也」/「冀或見之」)

・・・安佳。行来遇大、蕩然。・・・

(「親往為慰帖」131頁)――安は元気です。そのうちにやって来て大に遇えば、気が楽になるでしょう。
 「安」は謝安のこと。

野大皆当以至、不得還問、懸心。大得善悉也。・・・

(「野大皆当以至帖」426頁)――野と大はどちらも行くはずですが、返事がないので、心配です。大はたいしたものです。

大婚*2定。芳道也。

(「大婚定帖」444頁)――大の結婚が決まりました。いい御縁がありました。

・・・是老年衰疾、更亦非可倉卒。大都転差為慰。以大近不復服散、当将陟釐也。此薬為益、如君告。

(「想大小皆佳帖」539頁)――年をとり体が弱っているので、すぐにはよくならないでしょう。まあ大体、次第によくなっているので安心はしております。大は近頃、服散しないのですから、陟釐を使わねばなりません。この薬がよく効くのは、あなたのおっしゃる通りです。
 陟釐は下痢止めの薬らしい。

 『淳化閣帖』所収のものとは文字の異同があります。(「卒大都転差為慰以大近」/「不復服散常将陟厘也此」/「薬為益如君告」――大は近頃、服散しないので、いつも陟釐を使っております(森野繁夫・佐藤利行『淳化閣帖 訳注篇』162頁))

*1:「大は大奴、すなわち王邵をさすと見るべきであろう。絳帖平では王忱あざな仏大、をさすとしているが、どうであろうか。」『王羲之を中心とする法帖の研究』116頁

*2:「氏」の部分を「民」に作る字体