奥付の誤植――「第六十三版」

 浜田青陵『考古学入門』は刊行当時の考古学入門書としては屈指の名著で、今なお色あせない魅力を放っています。

 講談社学術文庫本(後述)とツーショット。
 わたしのなかでは、短い間に驚異的なペースで増刷を重ねた本としても印象に残っていて、奥付にはこうあります。

昭和十六年十月一日発行
昭和十七年三月一日六十三版発行

 五か月の間に「六十三版」・・・!おまえは村上春樹か。
 実は、本書が講談社学術文庫に収録された際に、小林行雄氏が巻末の解説で、なんと、この同じ「六十三版」に言及しているのです。

『創元選書』本の『考古学入門』は、あらためてたいへんな好評を博した。たまたま、手もとにある昭和十七年三月発行本を開くと、奥付に六十三版と印刷してある。わずか半年あまりのあいだにも、これだけ版をかさねたわけである。昭和十六年十月といえば、真珠湾攻撃の直前にあたるが、あのあわただしい世相のなかにあって、軍国主義とは無縁の本書が、かくも多数の読者をえたことは、まことに特記にあたいしよう。

(「解説」178頁)
 不思議な暗合もあるものだなーと長年思っていたのですが、本日、『日本考古学文献ガイド』をぱらぱらと拝読していたところ、驚きの記述が。

日本考古学文献ガイド (考古調査ハンドブック)

日本考古学文献ガイド (考古調査ハンドブック)

 坂誥氏は講談社学術文庫本の前掲解説文を引用した後に、

 しかし、よく考えて見ると、当時における発行部数が現在とは比較にならないとしても、5か月間に「63版」ということはまことに驚くべき発行部数である。・・・このような部数が当時5か月間に公けにされた、とはとても信じ難いことであった。
 そこで、本書の増刷について関心をもって調べた結果、1942年3月の「63版」は、「6版」の誤植であることを知ることが出来た。奥付の誤植など考えられぬことであるが、1942年8月刊が「7版」、同年10月刊が「8版」であり、さらに、1944年9月刊が「10版」であることを確認したのである。

(159頁)
 こうして、結局、三年の間に十回版行されたことが判明しました。
 奥付の誤りは、たしかにあってはならないことですが、「考えられぬこと」とまでは言えない程度の誤りです(奥付での誤植は、多くはないですけど、たまに見かけます)。ただし、今回のケースの特異性は、その原本での誤りがそのまま信用されて新装版の解説に取りあげられてしまったという点にあります。なかなか恐ろしいことです。
 なお、「六版」であっても、短期間に非常に多くの読者を獲得したことには変わりありません。それに、そもそも、著作の価値は売上の多寡で決まるものではなく、研究史における本書の地位は全く揺らがないということを付け加えておきます。
 さらに補足:「奥付の誤植」の補足 - Cask Strength