1963年以前にも「厩戸王」の用例はある

 指導要領改定案の問題点:「厩戸王」は戦後に仮に想定された名、「うまやどのおう」も不適切【訂正・追加】 - 聖徳太子研究の最前線
 私も「厩戸王」に変更するという試みには首をかしげるほかありません。それを言いだしたら、天皇の漢風諡号はアウトですし、そもそも天武より前の(推古という説もある)「天皇」号もアウトでしょう。「聖徳太子」はダメで「推古天皇」はOKというのは、どう見ても筋が通らない。従来通り「聖徳太子」で問題ないでしょうし、「厩戸皇子」でもいいでしょう。
 しかし、「厩戸王」が不適切であるということを主張するために上記ブログの記事のように言うのはいかがでしょうか。「厩戸王」という表記が小倉豊文氏や田村円澄氏の著作によって定着し、流布したというのは事実であっても、「厩戸王」は戦後の造語であって「どの時代の史料にも見えません」というのは事実に反します。

(『甲斐国志』巻四八。 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/764929/26

頂ニ駒形権現ヲ祭ル。厩戸王ノ驪駒ハ此山ヨリ産セシト云コト俚談ニ伝ヘタリ

 あの有名な聖徳太子の愛馬が「駒ヶ岳」で誕生したという伝説。江戸時代の史料が記録したこの「俚談」がどこまで遡るかはわかりませんが「どの時代の史料にも見えません」が言い過ぎなのはこれで明らかです。もちろん、ほとんど見かけない表現であることは確かですし、本文上の問題もあるかもしれませんが。
 ちなみに「厩戸王」の「王」は、ブログにあるように、よむとすれば「みこ」(あるいは「おおきみ」)とよむのが常識で、「うまやどのおう」はかなり不審です。

(『甲斐叢記』後輯七。 https://books.google.co.jp/books?id=cyQuAAAAYAAJ&pg=PT194#v=onepage&q&f=false

古時厩戸王(うまやとのみこ)の驪駒此山中より出しと云伝ふ

 この記事自体は『甲斐国志』を参照したのかもしれません。