http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20120407-OYT1T00471.htm
大日本古文書巻二十五、230〜231頁所収の文書の現物が見つかりまして。(画像は【データベース選択画面】より)
いま調べたら、嶋主はこれ以外にも写経所関係文書に何度か登場していますね。『二能断般若経』『千部法花経』等を書写しています。
写経所は宿泊勤務なので、自宅に帰宅するときも休暇願(「請暇解」、しょうかげ、とよむ)が必要で、期日までに出勤できない場合は、当然、欠勤届(「不参解」)も提出しなければいけなかった。
以下、読み下しと、新聞記事では触れていないことについての簡単な注。
万昆嶋主謹みて解す。期日に参らざる事を申す。
右。姑今月二十六日を以て、切に重病を得たり。起居を得ず。更に嶋主をおきて見治人無し。四箇日の暇を給はらむことを望み請ひ、治療せむと欲ふ。仍りて状を注し、謹みて解す。
天平宝字二年七月廿八日
「万昆」姓は、同姓の人物約10名が経師として写経所関係の文書に出てきます。渡来系でしょう。「解」(げ)というのは上申書の一種。制度上の規定では下級の役所から上級役所に提出する文書を指すが、請暇解・不参解のように個人が所管の役所に提出したものを「解」とする実例も多い。「起居を得ず」は、要するに寝たきりの状態であるということ。「見治」というのはここでは治療・看病の意で、この類の文書によく出てくる表現です。「望請」以下は漢文訓読調の一つの読み癖として「望み請ふらくは・・・ことを」とよむことも多いですが、別に意味が変わるわけではない。「仍注状謹解」は文末の常套句。