太宰治『右大臣実朝』が引用する『発心集』の一節

 鴨長明『発心集』の全訳注が文庫本上下二冊で刊行されました。嬉しい。
 

新版 発心集 (上) 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)

新版 発心集 (上) 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)

 
新版 発心集 (下) 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)

新版 発心集 (下) 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)

 太宰治に『右大臣実朝』という書きおろしの長編があります(初版、1943年9月)。かつての部下が実朝の生涯を回想するという内容でして、『吾妻鏡』や軍記物語といった中世文学に取材した、太宰の古典趣味をうかがい知ることのできる作品です。筑摩書房の全集では第6巻に収録されていますが、青空文庫でも読めます。
 太宰治 右大臣実朝
 途中で「長明入道」も登場しまして、そこに『発心集』の一節が引用されていることが注意されます。

「されば、」と入道さまも、こんどは、例の、は? と聞き耳を立てることも無く、言下に応ぜられました。「物慾を去る事は、むしろ容易に出来もしまするが、名誉を求むる心を棄て去る事は、なかなかの難事でござりました。瑜伽論にも『出世ノ名声ハ譬ヘバ血ヲ以テ血ヲ洗フガ如シ』とございまするやうに、この名誉心といふものは、金を欲しがる心よりも、さらに醜く奇怪にして、まことにやり切れぬものでござりました。(以下略)

(『太宰治全集第六巻』59頁)
 この「瑜伽論にも『出世ノ名声ハ譬ヘバ血ヲ以テ血ヲ洗フガ如シ』とございまするやうに」と、仏典『瑜伽論』を引用しているように見える部分は、実は『発心集』の引用です。つまり、流布本(慶安四年板本。角川ソフィア文庫本の底本)巻一の最末尾、

 この故に、ある経に、「出世の名聞は、譬へば、血を以て血を洗ふが如し」と説けり。本の血は洗はれて、落ちもやすらん、知らず。今の血は大きにけがす。愚かなるにあらずや。

(『新版 発心集 上』、60頁)に基づきます。慶安版本では「ある経」(実際は「有経」)とありますが、神宮文庫蔵写本には「兪伽論」と具体名が挙がっています(『発心集〈異本〉』古典文庫、1972年。212頁。なお、神宮文庫本は「出世の名聞は」にあたる部分を欠きます)。太宰が『瑜伽論』から直接引用して読み下した可能性もあるのではないか?と考える人もいるかもしれませんが、現行の『瑜伽論』にはこの一節がどこにも見当たらないので、それは見当違いだといえます。
 太宰の研究史を全くフォローしていないので、すでに指摘されていることであれば申し訳ありませんが、とりあえず『別冊国文学 太宰治事典』(学燈社、1994年)所収の中村三春氏「太宰治引用事典」には言及されていなかったので、記事に一応してみた次第。
 ところで、注意深い方は『右大臣実朝』と『発心集』の文章に小異があることに気づいたはずです。『発心集』では「名聞」となっているのに『右大臣実朝』では「名声」になっています。太宰の記憶違いか、誤植を疑う方もいらっしゃるでしょうけど、実はこれもそうではなく、太宰が用いた『発心集』のテクストの誤りをそのまま襲っただけだと考えられます。
 太宰が用いたのは、おそらく、簗瀬一雄校註『鴨長明全集(下)』(冨山房、1940年)です。『右大臣実朝』刊行3年前の著作。

 底本は角川ソフィア文庫本と同じ慶安版本で、「イ」として傍記しているのは神宮文庫本の異同です。御覧の通り、『瑜伽論』の書名が校異と脚注に出てくるだけでなく、本文を「出世ノ名声」に誤っています。
 『鴨長明全集』上下二冊は、しばらくの間広く利用された標準的なテクストですから、あるいは本書から直接引いたのではなく、他書が『鴨長明全集』を引用したものを太宰が孫引きした可能性は排除できないでしょう。しかし、いずれにせよ、太宰が同時代の古典研究の成果を積極的にとりこんでいたらしいことがわかるのは興味深いですね。