「我は信ぜず」とよめとでも?

 フォロワーさんの引用RTで見かけたのですが・・・



 この方はフォロワー数が多いので、やはり一言いっておくべきかと。
 大伴家持の歌(『万葉集』巻四・774)にこういうのがあります。原文は、

百千遍恋跡云友諸弟等之練乃言羽者吾波不信

 これは「百千度(ももちたび)恋ふといふとも諸弟らが練りのことばは『吾波不信』」というわけで、第五句は「われは頼(たの)まじ」(私は信じない)とよむものでしょう。おそらく漢字が伝来する以前からあったであろう古語「たのむ」は、何かを全面的に信用して身をゆだねるという意味で、まさに「信」そのものです。あてるべき訓が日本語になかったとは、ふざけた話ですね。
 「信」の字を「たのむ」とよむ確実な例がないので慎重になるべきだと言われればそれはそうなのですが、いずれにせよ、これは和歌の表現です。戯れの歌や、後世の釈教歌とかでない限り和歌に漢語は用いないのであって、たとえば「信ぜず」などは論外だといわざるをえません。