『話し言葉の日本史』

 本書の中心をなす「係り結び」・「ノ・ガ主格」・「上方―江戸」という共通言語地帯、の部分は私が下手にまとめるよりも実際に読んでいただくことにして。

話し言葉の日本史 (歴史文化ライブラリー)

話し言葉の日本史 (歴史文化ライブラリー)

今回も余談めいたことしか申しませんが、通史的な見通しが立ったことを「あとがき」で

このような次第で、著者の日本語史は一気通貫テンパイ状態に達したわけだが、これがめでたく「上がり」に行き着けるか否か、予断は許されない。

(227頁)
とおっしゃっていて、研究成果を麻雀に喩える研究者はなかなか見かけないだろうと、あのお声での脳内再生をしています。
 余談の続きでいえば、56〜58頁の「歴史的仮名遣い」の箇所は、私がかつて「歴史的仮名遣い」原理主義に疑義を投げかけたときの主旨と同様のもので、個人的に懐かしく、同時に心強く思いました。

明治期以来現在に至るまで言われるところの「歴史的仮名遣い」とは、大体十世紀の後半、すなわち先の源順時代の仮名の使われ方を基準とした仮名遣いである。この時代の仮名の使われ方は、「いろは歌」に反映している。しかしながら、「いろは」時代以外にも基準とされるべき時代が認められるはずである。たとえば、「あめつちの詞」に従った仮名遣いが考えられる。江戸期には「あめつちの詞」に反映している「衣」「延」の区別が発見はされていたが、広く一般には認識されていなかった。五十音図は「あめつちの詞」に従うことによって、最も整然とする。江戸期の国学者五十音図が大好きだったから、「あめつちの詞」についての認識が一般化していたら、必ずや「あめつち仮名遣」が「歴史的仮名遣い」の地位を獲得していただろう。上代が非常にありがたい時代ということであれば、特殊仮名を用いた「上代仮名遣い」を歴史的仮名遣いとすればよい。今日の「歴史的仮名遣い」は「復古仮名遣い」とも言われたくらいであって、所詮は恣意的な時代設定に基づく人工的なものである。(中略)世に言う「歴史的仮名遣い」とは「いろは仮名遣い」にすぎず、また、「いろは仮名遣い」を直接に反映するまとまった作品資料は、『和名抄』しか存在しないと言っても過言ではない。