出典論

書I-I 「積善之家厥福惟昌」 
                 明治10年(1877)
狩野は11歳11ヶ月の明治10年5月9日に第一番小学校下等第2級を卒業し、学業優等につき書籍を授与されているので、2月か3月の習字作品。この句は「積悪之門必有余殃」と対句。出典は『芸文類聚』巻23人部7鍳誡。

(「教育者・蒐集家・鑑定人 狩野亨吉 生誕150周年記念展」展示目録、30頁)
 楷書と行書による習字作品でしたが、小学生の手とはとても思えない端正な字でした・・・オレもあれくらい上手だったら・・・
 それはさておき、「出典は『芸文類聚』巻23人部7鍳誡」の一文が、文学教育に携わる者としては気になります。
 出典を挙げる、という場合には二様の考え方がありまして、
   1 大元(原典)の資料を指摘する
   2 実際に依拠した資料を指摘する
ということになるわけですが、本目録の出典表示はそのどちらの側から見ても問題がありそうです。
 まず1の側からいえば、たしかにこの一文は『芸文類聚』に見えるわけですが、周知の通り、類書である『芸文類聚』は諸書の引用文の切り貼りによって成り立っています。この「積善之家・・・」は呉・楊泉「賛善賦」の文章の引用なのです(http://hanji.sinica.edu.tw/http://friday.c.u-tokyo.ac.jp/ywlj_UTF8.html でご確認ください)。よって、この出典(原典)としては「楊泉の「賛善賦」」と書くか、あるいは、『芸文類聚』による引用が確認できる現存最古のものであることを考慮して「『芸文類聚』巻23所引楊泉「賛善賦」」と書くのが筋でしょう。
 2の側からいえば、狩野が実際に『芸文類聚』(全100巻)をめくり、この一文を自ら選びだして習書したとは到底考えられないことです。実際に依拠したのは習字の手本の類、あるいは、揮毫の際に使える名言名句を集めた虎の巻――たとえば『墨場必携』のごときもの――だと思われます。そこで『墨場必携』を見ていくと、案の定、見つかります。
 http://base1.nijl.ac.jp/iview/Frame.jsp?DB_ID=G0003917KTM&C_CODE=0204-020302&IMG_SIZE=&IMG_NO=258天保九年刊本)
 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/853184/33
 こちらは断定こそ難しいですが、『墨場必携』に見える句である、くらいは記してもいいのではないでしょうか。
 『墨場必携』は初級読本というか一種の俗書ではありますが、幕末・明治以降にあってはその影響力は無視できないのではないか、と日頃考えています。