「棊聖・寛蓮」

 興味深い記事が。

 「囲碁殿堂表彰委員会」が日本棋院・東京本院で開かれ、寛蓮、井上幻庵因碩の2人が殿堂入りした。寛蓮は平安時代の名人として後に「碁聖」と称され(以下略)

http://mainichi.jp/articles/20160805/ddm/007/040/164000c

 記事にある通り、寛蓮は平安時代の名手。俗名は橘良利、備前掾だった人で、天皇囲碁の相手役となって、延喜13年(913年)には『碁式』(散佚)を撰進している。古典文学にもいろいろなところに名前が出てきます。『源氏物語』「手習」に出てくる「碁聖大徳」が寛蓮を指し(『花鳥余情』)、横川の僧都が自らを寛蓮になぞらえて勝負したのに少将の尼に対して「つひに僧都なん、二つ負けたまひし」というのが笑いどころ。
 『今昔物語集』巻24「碁擲寛蓮値碁擲女語第六」はちょっとおもしろい。冒頭の部分にこうあります。

今昔、六十代延喜ノ御時ニ、碁勢(ゴセイ)寛蓮(クワンレン)ト云フ二人ノ僧、碁ノ上手ニテ有ケリ。

 ところが、その後の話に出てくるのは「寛蓮」一人の話のみ。「碁勢」はどこに行ったのかというと、これは諸注が指摘する通り、どうやら「碁勢」というのは「碁聖」の訛で、その普通名詞(つまり「碁聖(である)寛蓮」)を別の人名と勘違いしたらしい。このミスは恥ずかしい・・・。典拠となった資料(不詳)からすでにそうなっていたのか、『今昔物語集』の編者によるさかしらかはわかりませんが。
 このことはすでに、享保年間に版行された井沢長秀の校訂本の凡例に『今昔物語集』の杜撰さについて触れる箇所があって、そこにこの「二人」のことが出てきます。

早稲田大学図書館蔵。http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/i04/i04_00775/i04_00775_0202/i04_00775_0202_p0005.jpg
 あ、これも例の変体仮名アプリを使っての読解練習になりますね!(まただw 参照:「風が吹けば桶屋が儲かる」のは何故? - Cask Strength

此書にのする所の人、出自をあやまるあり。伊勢御息所をもつて、藤原忠房の子とする類也。一人をもつて二人とするあり、棊聖・寛蓮がたく[ぐ]ひなり。二人をもつて一人とするあり、権中納言敦忠・土御門中納言のたぐひなり