こんなものは「定本」ではない

 慶尚北道は、2015年から『三国遺事』の木版を作る事業を行っている。・・・第1段階は、朝鮮王朝時代の中宗7年(1512年)に刊行された朝鮮王朝中期本『三国遺事』の木版復刻作業。第2段階では、太祖3年(1394年)に刊行された版本などを基に、朝鮮王朝初期本『三国遺事』の木版を復刻する。第3段階は、朝鮮王朝初期本と朝鮮王朝中期本の誤字・脱字を正し、引用された諸資料の本来の内容を反映させ、本文と注釈があべこべになっていると考えられる部分を整理して慶尚北道本『三国遺事』の木版を作り、これを定本にしたいというものだ。・・・しかし、こうした計画に対して、多くの学者が疑問を投げ掛けている。・・・第3段階の慶尚北道本『三国遺事』では、引用された部分を原典と対照し、圧縮・省略・代替された部分については原典の内容を本文に反映させる方針だ。

http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2016/08/05/2016080501824.html

 「第1段階」と「第2段階」は、あえていえば、まだかろうじて有意義かもしれない。しかし、「引用された諸資料の本来の内容を反映させ」るという「第3段階」はまったく無意味であるどころか、百害あって一利なし。こんなものは断じて「定本」ではない。文献学を少しでも学んだことがある人であれば同意してくれることでしょう。
 現存『三国遺事』諸本が引用する典籍や史料に「圧縮・省略・代替された部分」があるという。だとすれば、読者である私たちが考えなければならないのは、

  • その「圧縮・省略・代替」は意図的なものであって、それこそが『三国遺事』の世界観や思想的・政治的主張を反映しているものなのではないか。
  • その「圧縮・省略・代替」は『三国遺事』編者が「原典」を直接参照したのではなく、別の資料を孫引きした結果なのではないか。



ということである。
 「原典の内容を本文に反映」させたらこのことは見えなくなる。このプロジェクトは「定本」を作っているのではなく、『三国遺事』の新たな(しかも書誌学的には「改竄」といえる)「一本」を作り出しているということに過ぎないのである。
 そして、