邪馬台国所在地に関する報道

http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20060822i306.htm

 古代史最大の謎とされる邪馬台国の所在地について、「畿内大和説」に有利な“証拠”が、近年の発掘調査で集まってきた。
 邪馬台国が存在した時代(3世紀前半〜中ごろ)に築造されたとされる奈良県桜井市のホケノ山古墳(全長80メートル)を中心とする大和地方の古墳と瀬戸内地方東部などの古墳との間に強い結びつきがあったことが明らかになりつつある。
 (中略)
 山尾幸久・立命館大名誉教授(古代史)は「共通する墳形や埋葬施設、副葬品は、同じ信仰や価値観念を共有し、結びついていた証拠。その中心が邪馬台国であり、後の大和王権につながる」と考える。
 しかし、九州説を唱える高島忠平・佐賀女子短大学長(考古学)は「ホケノ山古墳などの年代観が正しいとしても、日本列島全体が統一されていない段階。大和に大国があってもよいが、それは邪馬台国ではない」と反論している。

 読売新聞が今頃こういった記事を「ニュース」として報道する意図は何でしょうね。
 実は、アカデミズムの世界では邪馬台国畿内でほぼ決着がついています。それに対して、「それは御用学者による歪曲・史実隠蔽だ!」と、セミプロ(一部、プロを含む)・アマチュア歴史家が陰謀説を唱えるという対立の構図が長く続いているわけです。もちろん、決定打はどちらにせよ出にくいとは思いますが・・・私は文学の徒なのでよくわかりません。
 「ホケノ山古墳(全長80メートル)を中心とする大和地方の古墳」、つまり、「纏向古墳群」(纏向石塚古墳・ホケノ山古墳)は、『日本歴史』699号(2006年8月号)の「文化財レポート 二○○五年度後期の史跡等の指定(上)」で取り上げられている通り、昨年史跡として登録されました。
 余談。卑弥呼の墓と目されている「箸墓古墳」ですが、その方面では「箸中山古墳」あるいは「大市墓」などとも呼ばれているので、夏休みの自由研究でネット検索をしている人は注意してみてください。