三省堂全訳読解古語辞典(第三版)・2

 CDは不用だと思いましたが、中身は相変わらず良い。《参考》欄・「読解のために」欄・「補説」欄等は味読に値します。
 第二版から改善されている点もまま見られまして、一例、過去(回想)の助動詞「き」。第二版では「き」の未然形の存在を認めていないにも関わらず、「読解のために」では、

(5)未然形に「せ」を認める説もある。「き」は、過去に確実にあったとする判断を表すのが本義であるから、まだ実現していない状態を意味する未然形とは矛盾する。この意味で、本書では「き」の未然形とはせず、サ変動詞「為*1」の未然形として扱う。ただし、「せ」には、「十月*2雨間も置かず降りにせばいづれの里の宿か借らまし」〈万葉・一二・三二一四〉のように、完了の助動詞「ぬ」の連用形に付く例があり、サ変動詞「為」には、このような用法がない。このことを重視すれば、「き」の未然形に「せ」を認めることになる。

この説明じゃ読者は混乱するだけだろう・・・。それに対して、第三版では第二版の記述を全面的に改めて、「き」の未然形「(せ)」を認め、

(5)「せば・・・まし」の「せ」をサ変動詞「為*3」の未然形とする説があるが、「せ」には、「十月*4雨間も置かず降りにせばいづれの里の宿か借らまし」〈万葉・一二・三二一四〉のように、完了の助動詞「ぬ」の連用形に付く例があり、サ変動詞「為」には、このような用法がないので、本書では、「き」の未然形とする。和歌専用の語。

こっちのほうがずっとすっきりしていますね。「和歌専用の語」と注意することも味わい深い。
 その一方で、考えさせられる変更もありました。歌枕「あさかのぬま」(安積の沼)の「読解のために」。第二版では、

陸奥*5であった藤原実方*6が五月の節句で、菖蒲*7が手に入らないため、この沼に生えていた「花かつみ」で代用したという逸話がある。歌では「安積の沼の花かつみ」と慣用的に詠まれて、「かつ見る」「かつ乱る」などを導く序詞となる場合が多い。→「花*8かつみ」

とあるのですが、第三版では微妙な改訂を行なっており、

陸奥*9であった藤原実方*10が五月の節句で、菖蒲*11が手に入らないため、この沼に生えていた「花かつみ」で代用したという逸話がある。歌では「安積の沼の花かつみ」と慣用的に詠まれて、「かつ」「かつて」などを導く序詞となる場合が多い。→「はなかつみ」

「かつ見る」「かつ乱る」(第二版)という記述から「かつ」「かつて」に変えたのはどういうつもりでしょうか。「花かつみ」に接続するものとしては、有名な古今集歌(恋四・よみ人しらず)、

みちのくの 安積の沼の 花かつみ かつ見る人に 恋やわたらむ

を始め、式子内親王「浅ましや 安積の沼の 花かつみ かつ見なれても 袖はぬれけり」などなど、「かつ見」が圧倒的に多いわけです。むしろ、万葉集(巻四・675)の、

をみなへし 佐紀沢に生ふる 花かつみ かつても知らぬ 恋もするかも

が例外(しかも、「安積の沼」ではない)。「花かつみ」の「かつみ」という三音が「かつ見」を導くのですから、まあそっちのほうが自然なのは当然ですよね。だとすれば、第二版の記述のほうが親切であったと思いますが、いかが。

*1:

*2:かんなづき

*3:

*4:かんなづき

*5:むつのかみ

*6:さねかた

*7:しょうぶ

*8:はな

*9:むつのかみ

*10:さねかた

*11:しょうぶ