桐に鳳凰(3)

 鳳凰は空想の生き物ではありますが、前近代東アジアの為政者にとっては、自らの治世に出現することが切望された鳥でした。

祥瑞。
……鳳。【状如鶴。五綵以文。鶏冠、燕喙、蛇頭*1、龍形。】……
右、大瑞。

(『延喜式』巻二十一、治部省
 当時の政治思想によれば、高い徳を持った聖王の統治が実現した場合、天がそれに感応してさまざまな祝福の印(祥瑞)を示すとされていました。「麒麟」や「一角獣」や「神亀」が出現するとか、普段は土砂を含んで濁っている黄河の水が澄むとか、「慶雲」が浮かぶとか、山から万歳を唱える声が聞こえるとか、とにかくたくさんあるのですが(上掲『延喜式』を参照)、鳳凰の出現もその祥瑞の一つで、「大瑞」つまり最もめでたいサインの一つだとされていたのです。
 もちろん、なかには、珍しい鳥を目撃してそれを鳳凰と勘違いしてしまった、悪意のない報告もあるでしょうが、たいていは政治利用のために偽証および偽造されたものであることは容易に想像できます。
 鳳凰は、大陸では漢王朝において多く出現したのですが、皇帝の権威が失墜して、国力が大いに衰退した後漢桓帝霊帝の時代にも現われています(趙翼『廿二史箚記』巻三)。はかない政治パフォーマンスでして、歴史学者の趙翼は「未必得実也」(この手のものは必ずしも「本物」ではない)と冷ややかです。

*1:頸か