桐に鳳凰(4)

   梧桐鳳凰
みそのふの 青桐咲けり 香をとめて うづのさか鳥 今か来啼かむ

田安宗武『悠然院様御詠草』)――御園の青桐が咲いたよ。その香りを尋ねて、貴い瑞鳥(鳳凰)が今にやって来て鳴くだろう。
 どう考えても季節の合わない桐を最後に配した理由は何だったのでしょうか。慣用句「ピンからキリまで」の「キリ」と「桐」の語呂合わせだというのが通説のようです。たしかに、今まで検討してきたように、花札の図柄は古典的・伝統的美意識からはやや外れたものが多々ありましたし、今回も俗っぽい言葉遊びが発想のもとになっている可能性は捨て切れません。
 それでも、私は別のかたちでこの「キリ」の意味を理解したいのです。
 松と鶴という不変・長寿の象徴で始まり、天下の安泰に際して現われる瑞兆の鳳凰が住むとされる桐で終わる、というのは、祝福という点で意識的に首尾を対応させたものではないでしょうか。
 長寿という個人の幸福と、天下泰平という共同体的な幸福を願う花札作者の祈りの声が聞こえてきそうです。
 私も共にそれを願いつつ、まとめといたします。


 長いこと連載におつきあいいただき、ありがとうございました!思ったより長くかかりました〜w
 常識的に知られていることや、今までの読書から気づいていたことが基礎になっていたとはいえ、多くの記事については一から調べ直すという作業を強いられました。連載開始当初は不安もありましたが、不思議なことに、ネタに窮することは全くなく、むしろ、月ごと4枚にどうやってうまく話をまとめようかという点に苦心しました。退屈な記事、わかりづらい記述も目につきますが、文才のなさを恥じるばかりです。
 私自身は調べ物が楽しかったので、満足していますw 新しい知見をいくつか示すこともできました。ただ、門外漢のため、全くの思い違いをしている箇所や、私の臆測に先行する詳細な研究があるかもしれません。御意見、御批正をいただければ幸いです。