漢詩をよむ 漢詩の来た道(魏晋南北朝・隋)

 よく知られた詩(六朝詩のアンソロジーを作ったら、普通は入選する作品)と、従来はとりあげられることが比較的少なかった作品とのバランスがとれているテキストだと思います。六朝文学という豊かな世界を再発見するきっかけになるでしょう。
 『文選』や『玉台新詠』にも収録されず、日本語訳のついた選集にも採られていないような作品としては、謝霊運「歳暮」(158頁)や、謝朓「離夜」(196頁)、南方の歌曲である「青陽度」(209頁)「長干曲」(210頁)あたりが挙げられます。「歳暮」「離夜」は『古詩源』に収録され、「青陽度」は『六朝詩選俗訓』に収録されていますが、目にする機会はあまりないのではないかと。
 また、陶淵明はやはり別格の扱いをうけている(85頁〜152頁)のですが、ここでも、たとえば「諸人共游周家墓柏下」詩(142頁)といった、普通は言及されない作品が解説されているのは意義があります。

「嘲熱客」

 そのなかでも、程暁という一般にはほとんど知られていない詩人の「嘲熱客」詩*1(26頁)は、一読の価値あり。もちろん、『古詩賞析』や、『漢・魏・六朝詩集』(平凡社)の一海知義氏の翻訳でこれを目にしている人も多いかもしれませんが。
 夏のクソ暑いさなかに訪問してきた客に文句を言う、ユーモラスな作品で、この時代の作品にしては異色です。

・・・
お客の話には 切実なことは何もなく、
ただべらべらと まあ何と口数の多いこと。
くたびれながら 長時間お相手をして、
ようやっと「ご用はお済みですか」とたずねる。
ずっと扇を使いどおしでうでが痛く、
汗はとめどなく流れる。
これを些細なことなどと言いたもうな。
これだって立派な罪悪だ。
・・・

 程暁の代表作として人気があったためか、後世いろいろな本に引用されて名を残しました。

「熱客」とは誰か

 「これは作者の実体験か、それとも「熱客」に託して、無神経な人の多い世相を諷したのか。おそらくは後者であろう」(28頁)という意見に賛成ですが、万が一、これが実体験であったなら、相手は誰か。私は傅玄の可能性があると思います。傅玄には、程暁の詩に応えた(程暁の詩は現存しません)「答程暁」詩と「又答程暁」詩が残されていて、交流のあったことが知られています。

蛇足

 講座テキストだから不要だと考えたのかもしれませんが、それぞれの作品がもともとどこに収録されているのか――『文選』や『玉台新詠』が多いわけですが――を注記することが、むしろ一般向けの書籍では必要だったのではないでしょうか。

*1:「伏日」と題して引用する本もあります。