暗誦テキスト一覧表を――『禅僧たちの室町時代』

 湯浅邦弘氏『故事成語の誕生と変容』も本書もそうなのですが、新書あるいは講談社学術文庫ちくま学芸文庫とかに入っていたならば、もう少し読者数を獲得できたのではないかと。幅広い読者層にお勧めしたい本です。

禅僧たちの室町時代―中世禅林ものがたり

禅僧たちの室町時代―中世禅林ものがたり

 ただ、書名を「室町時代」としたのが少々ネックになったかもしれません。「詩の材料――禅林の日常と詩的世界」章の「詩文に秀でた僧」節で紹介されるのは鎌倉末〜南北朝時代の禅僧ばかり。そうせざるを得ないような文学的要因があるのなら、「五山文学者として最高に位置づけ得る成績を示している」(故入矢義高氏)とされる絶海中津(1336年〜1405年)にはもっと紙幅を割くべきであったでしょう。また、南北朝時代の禅僧を含めて話をするときに、異彩を放つという点で中巌円月と双璧である寂室元光(1290年〜1367年)に全く言及がないというのも残念な気がします。「室町幕府の管理下にあった官寺を中心に禅林の成立を大まかにたどり」(23〜24頁)ということなので仕方ないですが。
 それはそうと、「暗記する――禅林の記憶力――」章は注意を要します。「禅林の日常に詩の暗誦という習慣があった」(98頁)と。

建仁寺長老の談話として、「少内記とよばれる小童が連句の執筆を勤めたときに、『三体詩』などは暗記している様子がみえ、禅林詩壇の盛んな時代はともかく、今の世にもこんな小童がいるのかと賛嘆されたこと、あるいは西明寺の僧が丹波氷室で禅家の能僧が集まって会を催したときに、『聚分韻略』にない字だといい、そこから明恩の噂をして、明恩は『聚分韻略』を諳じていた」というのである。ここにも『三体詩』を暗記する少童少内記と『聚分韻略』を暗記する僧明恩がいた。・・・晩年の亀泉集証は、延徳四年(一四九二)から明応二年(一四九三)七月にかけて、初学の者に繰り返して『三体詩』を学習させたことが日記に見え、詩を学び始めた少年僧たちは、競って『三体詩』を暗誦したのである。

(116〜117頁)
この場合は中世の禅僧の話ですが、暗誦するほど自らの血となり肉となったテキストが何であったか、時代や集団ごとに把握しておく必要を強く感じます。包括的な一覧表の完成が強く望まれます(まあ、自分でやってみろ、と言われそうですが・・・)。
 なんでもいいのですが、たとえば天平年間の「優婆塞貢進解」(正倉院文書)を見ると、当時出家をしようとしていた人たちが何を「読経」でき、何を「誦経」できると政府に申請していたのかがよくわかります。たとえば、美濃国出身の秦豊足(天平4年当時29歳)は、「読経」できる仏典として『法華経』・『最勝王経』・『方広経』・『弥勒経』・『涅槃経』等を挙げ、「誦経」つまり丸暗記している上で読みあげることができる仏典として『薬師経』・「観世音品」(『法華経』)・『多心経』を挙げています。ほかの人のを見ても、『法華経』『最勝王経』『薬師経』といった辺りはほぼ共通していて、当時これらの習熟が求められていたことは確実です。
 また、同じく天平年間の正倉院文書で「読誦考試歴名」と『大日本古文書』が称している文書、これは出家を志している人々の資格審査の結果のようなものだと思われますが、そこでもやはり『法華経』が圧倒的に多いということがわかったりします。
 こういった調査を全時代・全集団にわたって集積することはできないものでしょうか。