2011年、今年読んだ知的向上心をかきたてる本5冊
去年に続き(2010年、今年読んだ知的向上心をかきたてる本5冊 - Cask Strength)今年も。ただし、「本棚メモ」でとりあげた本は除外、という縛りは外します。でないと来年以降もキツイでしょうから。一般の人、専門外の人でも楽しめるもの・有意義なものを、そして普通の書評サイトではあまり取り上げないだろうというものを意識的に取り上げたという方針は昨年と同じ。
- 『読んでいない本について堂々と語る方法』
- 作者: ピエール・バイヤール,大浦康介
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2008/11/27
- メディア: 単行本
- 購入: 17人 クリック: 306回
- この商品を含むブログ (95件) を見る
結局は、読んでいない本を堂々と語るには、素地としてある程度の読書量と教養がないとダメだというのがミソ。当たり前ですが・・・。本書で説かれる〈共有図書館〉〈内なる図書館〉〈ヴァーチャル図書館〉の概念の説明を参照。その教養というものは「目録」の存在と密接な関係がある。
教養ある人間が知ろうとつとめるべきは、さまざまな書物のあいだの「連絡」や「接続」であって、個別の書物ではない。(中略)本を一冊も読まず、本についての本である目録にしか興味をもたないというこの司書を批判する向きもあるかもしれない。しかし目録とはつまるところリストであり、それは諸々の本のあいだの関係を目に見える形で明らかにしてくれるものである。
東洋では目録学が「学中第一緊要事」(『十七史商榷』)と位置づけられることも併せて想起したい。
本書でもう一つ面白かったのは、論及した書名に付された「略号」でして、
〈略号一覧〉
〈未〉ぜんぜん読んだことのない本
〈流〉ざっと読んだ(流し読みをした)ことがある本
〈聞〉人から聞いたことがある本
〈忘〉読んだことはあるが忘れてしまった本
(以下略)
今をときめく評論家やブロガーたちに(あるいは学生・院生にも?)是非とも正直に明示してもらいたいものではあります。
- 『桃源瑞仙年譜』
- 作者: 今泉淑夫
- 出版社/メーカー: 春秋社
- 発売日: 1995/03
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログを見る
いろいろと考えさせられることはありますが、桃源の歴史観というか史学研究態度を伺い知ることのできる、たとえば第一部注9(51〜68頁)、注92(168〜170頁)、注94(170〜177頁)、注98(184〜189頁)といった辺りは興味深い。「桃源に史家としての自覚があったか、にわかに定め難いが、少なくともその方法は史家のそれである。・・・桃源の思惟がこれまでの史学史において評価されなかったのは惜しむべき遺失であったことになる。」
本書は一個人の伝記研究という枠を超えており、15世紀の文化史を見渡すことができる好著。
- 『故事成語の誕生と変容』
- 作者: 湯浅 邦弘
- 出版社/メーカー: 角川学芸出版
- 発売日: 2010/09/18
- メディア: 単行本
- 購入: 1人 クリック: 11回
- この商品を含むブログ (5件) を見る
類書が原典のどの部分を採録するか(引用範囲の問題)、その引用文をどの項目に分類するか、それにどのような見出しを立てるか。これらが故事成語の成立に深く関わっていることが明快に説かれている。
ただし、記述に重複が多く、通読すると冗漫な印象を受けるのは残念。
何かしらの類書をほぼ毎日利用している私ですが、『喩林』や『分類字錦』は使ったことがないので、今度つらつら目を通してみようかな。
御定分類字錦·卷一 : (清)何焯 : Free Download, Borrow, and Streaming : Internet Archive
喻林·卷一~卷二 : (明)徐元太 : Free Download, Borrow, and Streaming : Internet Archive
- 『漢語大詞典訂補』
漢語大詞典編纂処編『漢語大詞典訂補』(上海辞書出版社、2010年)
私、辞典は「読む」ものだと思っているので!
増補された項目の種類によって「△」「※」「◎」といった記号を付しているのが特徴的で、たとえば「※」は「訂訛条目是指訂正《漢大》所収単字条目或多字条目中重大錯訛的条目」を示す。便利ですね。その「※」が付された項目を拾い上げてみると、韻目の誤りや固有名詞の誤りが多く、
【一貫】 1-79※4 原引清侯方域《湯御史伝》例当刪去。按:文中 “沈相国一貫” 之 “一貫” 為人名。沈一貫、明万暦間大学士、《明史》有伝。
といった具合で、固有名詞は厄介だなぁ・・・と自戒を込めて痛感する次第です。
「△」(「新増条目是指新増収的原為《漢大》所漏収的単字条目和多字条目」)も刺激的で、白話小説・敦煌資料・漢訳仏典等に見られる語彙を多く増補したという印象。ただ、特殊過ぎて、それを立項するのはどうなのという語も目立つ。
【耶由】 猶揶揄。嘲笑;戯弄。唐王梵志《父母怜男女》詩:“寒食墓辺哭、却被鬼耶由。” 一本作 “邪由”。
なるほど、それはそうなのでしょう。項楚氏も「俗語記音、故写法各異」(『王梵志詩校注 増訂本 下』)とわざわざ注しております。しかし、この「揶揄」を意味する「耶由」という表記はこの王梵志の詩以外で、どこに出てくるのでしょうか――
- 『国語学叢考』
- 作者: 鈴木博
- 出版社/メーカー: 清文堂出版
- 発売日: 1998/09
- メディア: 単行本
- クリック: 2回
- この商品を含むブログ (1件) を見る
ほかにも「四の字嫌い」「祝いの言葉「五百八十年」」「「草冠」の意の「サウカウ」」「仮名書き本『太平記』の「ようふう」は「淫風」」「『山月記』僻案」等々、どれも大変わかりやすく、興の尽きない御論ばかり。