「何度死んでも後悔しない」(温家宝氏)の典拠は「離騒」(『楚辞』)

 温家宝首相、漢詩引用し「潔白」 親族の蓄財報道受け
   【上海=奥寺淳】中国の温家宝(ウェンチアパオ)首相がタイを訪問中、漢詩を引用して「自身の潔白のためなら死んでも誠実、正直でなければならない」と述べた、と中国メディアが22日伝えた。米紙ニューヨーク・タイムズが先月、首相の親族が27億ドル以上の蓄財をしていると報じたことを念頭に、身の潔白を訴えたものとみられる。
 温首相は今月の共産党大会で党の要職を退いてから初の外遊。現地在住の華人の代表らを前に20日、戦国時代の楚の詩人・屈原の詩を引用し、「真実を追求するためなら何度死んでも後悔しない」とも述べた。

http://www.asahi.com/international/update/1122/TKY201211220790.html

 これは一体どの漢詩か、と畏友から下問がありまして・・・。そういえば、某氏は以前も クリントン氏が引いた「孔子の言葉」? - Cask Strength を質問してきたな。
 こういう時に即座に答えられたらかっこいいのですが、もちろんできない。「離騒」だろうという予想は当たっていました。

長太息以掩涕兮
哀民生之多艱
余雖好脩姱以鞿羈兮
謇朝誶而夕替
既替余以螵纚兮
又申之以攬芷
亦余心之所善兮
雖九死其猶未悔

(『楚辞』「離騒」)――ため息をついて涙を拭き、人生に困難が多いことを哀しむ。私はよく修身、節制していたのに、ああ、朝に諫言しても夕方には追い出されてしまう。もとはといえば螵の腰帯をしていたのが悪いという理由で見限られ、今度は芷を手に持ったのがよくないという。しかしこれは私が自分で善いことだと思っていることなのだから、「九死」しても悔いることはないのだ。
 ただし「九死」の解釈には二説あります。
 九度死ぬ(「九」は「言其多也」ということで、つまり何度も)というのが一つで、今回の新聞記事の和訳がそれ。もう一つは、「九死に一生を得る」の「九死」と同じで、十のうち九は死んでしまうような(ほとんど必ず死んでしまうような)極めて危うい状況に陥るという意だとする。
 「昔人刎頸、九死不恨」(『後漢書』史弼伝)というのは前者の理解に基づく表現ですし、「九死一生」の典拠ともなった『文選』劉良注では「言忠信貞潔、我心所善、以此遇害、雖九死無一生、未足悔恨」と後者の理解を示すわけで、伝統的に両説おこなわれていたらしい。どちらが正しいか断言はしかねますが。
 「真実を追求するためなら」の部分は温氏の自分のことばかな。