「上宮聖徳法王帝説」の「帝説」――付・「春秋説」

 『上宮聖徳法王帝説』(岩波文庫)旧版と改版 - Cask Strength
 『上宮聖徳法王帝説』の書名中「帝説」の語が難解なので、これは「帝記」の誤りではないかという説があって、これはこれで割と有力なのですが、太田晶二郎「『上宮聖徳法王帝説』夢ものがたり」はもう一説を立てています。

本書の記者は、聖徳太子の御事を輯録しようとし、主題を顕す「上宮聖徳法王」の六字を巻首に掲げた。次に、御系譜を最初に載せるので、その部分だけについての標目として「帝記」の二字を記した。即ち六字・二字別個であったが、写し誤りで一続きにされ、似而非なる書名が出来てしまった。本書の本名を必ず求めようとならば、「上宮聖徳法王」がそれである、と。

(『太田晶二郎著作集 第二冊』(吉川弘文館、1991年)2頁。初出1960年)
 これとは全く関係ないというか、「説」字の繋がりで一つ苦い思い出がありまして、昔とある文献に「春秋説云」云々と出てきたのを、時間がおしていたということもあって、ロクに調査もせずに「『春秋』の三伝のどこかに出てくるのであろう・・・」と一人合点してそのように訳出したことがあります。それから何年もして最近になって岩本憲司氏『春秋学用語集』(汲古書院、二〇一一年)に目を通していたところ「春秋説」の項目があり、

《春秋》にかかわる緯書、つまり、「春秋緯」のこと。鄭玄は三礼を注釈するのに盛んに緯書を引用したが、ちょうど党禁中であったため、緯書のような神秘の書をそれと明示するのが憚れたから、「緯」を「説」にかえて、表現をぼかした、ことによる〔『礼記』檀弓下疏引〈鄭志〉〕。もちろん、これは春秋に限らず、例えば、「易説」・「尚書説」・「礼説」とあれば、同様に、それぞれ、易緯・尚書緯・礼緯のことである。したがって、「春秋説」を、文字どおり、春秋に関する「説」と解するのは間違い。

(21頁)
 なんと・・・
 特にオチはないのですけど、書名の「説」にはこのように少し思うところがあって。