福永光司氏が関わった一連の『老子』『荘子』の訳注書を整理する

 福永光司/興膳宏訳『荘子 内篇』・同『荘子 外篇』(ともに、ちくま学芸文庫)買ってきましたー。来月『荘子 雑篇』が刊行予定。
 それにしても、福永光司氏(と興膳宏氏)の手になる『老子』『荘子』の訳注書の種類が多くて、混乱している読書人も多いのではないでしょうか。

 ↑「同じ本ばかり買って!」と言われかねないありさま・・・
 福永光司・興膳宏訳『老子 荘子』(世界古典文学全集、筑摩書房、2004年)については簡単に紹介したことがあります → 世界古典文学全集『老子 荘子』(と福永光司氏『老子』『荘子』との関係) - Cask Strength。今回は、それを含めて、一連の著作の刊行経緯をわかりやすく説明しようと思います。
 ※いかにも夏休み中に執筆した記事、というか、無駄に長い文章になっています。目を通すのが面倒だという方は下の「図式で示すと」以下の部分を御覧ください。
 発端は、1966年〜1968年に朝日新聞社の「新訂 中国古典選」シリーズとして刊行された『老子』『荘子 内篇』『荘子 外篇』『荘子 外篇・雑篇』の4冊です(実は、『荘子』に関しては旧版「中国古典選」に収録されたものがありますが、それは省略します)。黄色いハードカバー。
 これらは1978年に、同社の朝日文庫「中国古典選」(←この時点で紛らわしい)として復刊されます。『老子』は上下2冊に、『荘子』は内篇・外篇上中下3冊・雑篇上下2冊に分冊。薄緑色の飛雲紋のようなカバー。 
 文庫化にあたって増訂・改編がなされていまして、たとえば『老子』については1973年の帛書『老子』の発見をうけて、

このたび私の中国古典選『老子』が文庫本として改版されるにあたり、取りあえず字句の異同の主要なものを馬王堆本(甲、乙)として注記することにした。

(『老子 上』28頁)
 『荘子』については「文庫版として刊行されるにあたり、これら後出の『荘子』の訳書・注釈書ないしは研究書の成果をも広く採り入れたいと思ったが・・・そのことが十分になされていない」と断りつつ、

ただし、今度文庫版として刊行されるにあたり、改めて全体を読み直してみて、甚だしく都合の悪い箇所は、ところどころ筆を加え、書き改めた。・・・また文庫版においては、旧版の「内篇荘子」語句索引のほか「外・雑篇荘子」語句索引を増補して、『荘子』全体の総合的な号索引を一括して巻末に新たに加えた。

(『荘子 内篇』26頁)とします。この「新訂 中国古典選」あるいは朝日文庫版がいわゆる福永老子、福永荘子です。
 また、『老子』については、1997年に朝日選書として刊行された福永光司老子』があります。これは版型を大きくして、朝日文庫版上下2冊を合冊したもので、本文に修訂は加えられていません(少なくともそう見えます)。
 前述した筑摩書房の世界古典文学全集版も、福永氏(2001年逝去)の単著となるはずでした。しかし、興膳氏のあとがきにあるように、朝日版『老子』『荘子』という画期的な訳注書をすでに刊行されただけに、

いま新たに両書の訳注を作成することは、福永先生にとって、屋下に屋を架すような作業だったのかも知れない・・・この訳注に大きなエネルギーを注ぐことはむずかしかったかと想像する。

(世界古典文学全集『老子 荘子』553頁)
 刊行は遅延を重ねましたが、編集部の大西寛氏が「「朝日文庫」版の『老子』にもとづいて、訳注の下原稿を作成し、それが福永先生の校閲を経て、本書の『老子』となった」次第です。凡例にはこうあります。

この訳注は、朝日文庫「中国古典選」所収の福永光司著『老子』上下にもとづいている。訓読と口語訳は基本的に同書のものを用いたが、一部書き改めた箇所もある。また、注は同書の解説を適宜編纂して充てた。

 よって、本書の老子の部分は「福永老子」の雰囲気をよく伝えるものになっています。再編集されているので中身は異なりますけど、彷彿とさせます。解説はだいぶ簡略化されていますけど。
 しかし、荘子の部分は興膳氏の手になるものでして、別物といっていいものです。

荘子』の方は、紆余曲折の末に、私が訳注を引き受けることになった・・・福永先生からは「君の思う通りにやってください」といわれたが、私としては、福永『荘子』の成果に依拠しながら、努めて文学的な『荘子』解釈を追求することを方針とした・・・もちろん、福永説に従わず私独自の解釈を施した箇所も決して少なくはない。

(553頁)凡例を引用するのは冗漫になるのでやめますが、朝日文庫荘子』を尊重しつつ、興膳氏が全体を新たに書き下ろしたことが強調されています。
 講談社学術文庫ちくま学芸文庫から最近になって刊行された『老子』『荘子』と以上の諸書との関係がここで問題になります。

(まったくどうなっているんだ!)
 まず、講談社学術文庫版の福永光司荘子 内篇』ですが、これは前掲「新訂 中国古典選」の文庫版に相当します。注意してもらいたいのは、朝日文庫版ではなくて、「新訂 中国古典選」版が底本らしいということです。

ソビエトで発見された北宋の呂恵卿(十二世紀初めに歿)の呂観文進荘子義本、・・・

(新訂 中国古典選版、16頁。講談社学術文庫版、393頁)

ソビエトで発見された北宋の呂恵卿(十二世紀初めに歿)の呂観文進荘子義本(観文は観文殿学士=呂恵卿)、・・・

朝日文庫版、21頁)
 以上のように、朝日文庫版で加筆された部分が講談社学術文庫版には反映されていません。それに、講談社学術文庫版では巻末に索引が付されているのです(前述したように、朝日文庫版では各巻末にあった索引は全編統合されて「雑篇・下」の巻末に付されます)。なぜ朝日文庫版が底本にならなかったのでしょう。朝日新聞出版で再版する予定でもあるのでしょうか。部外者にはよくわかりませんね。また、「外篇」「雑篇」も学術文庫に収録されるといいと思うのですが・・・。
 最後に、ちくま学芸文庫版の福永光司訳『老子』、福永光司/興膳宏訳『荘子 内篇』と『荘子 外篇』ですが、これは世界古典文学全集版の文庫本化ということになります。ただし、『老子』については何も特記されていないのですが、『荘子 内篇』の「文庫版あとがき」によりますと、

このたび拙訳を「ちくま学芸文庫」に収めるに当たり、先秦諸子の新進研究者である鈴木達明君に校正刷りを読んでもらって、同君のコメントによって訳注に多少の修訂を加えた。

(307頁)とありますので、ちくま学芸文庫版『荘子』が「興膳荘子」の決定版という位置付けでしょう。『荘子 雑篇』は未刊ですが、この延長線上にあると推定されます。

図式で示すと

 冒頭で「一連の著作の刊行経緯をわかりやすく説明」とあるのに、要領を得ない?すみません・・・
 図式化するとこういうことですよね。



老子
A → C (E)
(A → C (E))→ F (I) ※FはCを再編集したもの。
荘子
B (H) → D
(B (H) → D)→ G → J ※GはDをもとにしながらも別物。
 CとE、FとI、BとHは、本文が書き換えられているわけではないようです。でも、新版では誤字脱字の訂正くらいはさすがにおこなっていると思います。