『伊香保みやげ』
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I050081402-00
1919年に刊行された『伊香保みやげ』の復刻本でして、尾崎秀樹氏の「新序」と清原正康氏の「執筆者紹介」を付したもの。徳富蘆花記念文学館で売っていたので購入しました。
内容は、明治・大正期の文豪たちが伊香保の思い出を語る文や伊香保を詠んだ歌、舞台にした短編を書き下ろした(一部再録)というものです。錚々たるメンバーが名を連ねています。幸田露伴と岩野泡鳴の序の後に、谷崎潤一郎、上司小剣、芥川龍之介、徳田秋声、馬場孤蝶、前田夕暮、田山花袋、笹川臨風、長田幹彦、大町桂月、藤森成吉、長谷川時雨、青柳有美、沖野岩三郎、近松秋江、金子薫園、小山内薫、佐藤緑葉、小寺菊子、飯塚啓、有島生馬、岡本一平、山村暮鳥、尾上柴舟、長瀬春風、島崎藤村、水野葉舟、西村渚山、生方敏郎、松崎天民、昇曙夢、田中阿歌麿、伊藤英子、遅塚麗水、花園緑人、萩原朔太郎、木下尚江、遠藤清子、永代静雄、谷崎精二、正宗白鳥。
壮観であることは間違いないのですが、最初の露伴と泡鳴の序でさっそくコーヒーを吹いたぜ。
露伴は湯治の効能を一般論として説いた後に、温泉地というのはそもそも良い土地柄であるということをやはり一般論として説くのですが、伊香保の話はどこに出てくるのだ、と思っていたら最後に、
(9頁)
泡鳴は冒頭からのっけに、
伊香保へは十数年前に行つたことがあるつ切り、行く折がないので、今回高木角治郎氏から頼まれても別に書くことがないのを遺憾とする。
(10頁)
正直な人たちである・・・w 泡鳴は続けて、
それに、僕がへたなことを書かないでも、この書中には正宗白鳥、徳田秋声、芥川龍之介、その他の多くの諸氏の長くてまた面白い物が掲載されてゐるから、僕はたゞそれらの文章を推薦して置けばそれで十分だと思ふ。
それでは、ということで芥川の文章(「忘れられぬ印象」)を見てみると、
伊香保の事を書けと云ふ命令である。が、遺憾ながら伊香保へは、高等学校時代に友だちと二人で、赤城山や妙義山へ登つた序に、ちよいと一晩泊つた事があるだけなんだから、麗々しく書いて御眼にかける程の事は何もない。第一どんな町で、どんな湯があつたか、それさへもう忘れてしまつた。
(27頁)
では、何が「忘れられぬ」のかといえば、そこで出会って電車賃を拝借した「紳士」のことであったという・・・w
長谷川時雨(「あこがれ」)などは伊香保には行ったことがなく、「ほんとに一度は行きたいとばかり思つてゐました」「私はいまでもやつぱり一度は行きたいと思つてゐます」「近いうちに是非とも出かけたいと思つてゐます」(78〜79頁)と執拗に繰り返すあたり、あ、これは行かないパターンだ・・・と思ってしまいますね。水野葉舟(「伊香保へ行かざりし記」)も堂々と「有名な伊香保もまだ知らない」(173頁)という。
ここまで来ると不思議なのは、なぜこういう人たちは執筆依頼を断らなかったのだろうか、ということになります。編集者・刊行者であった高木角治郎とはいかなる人物なのか知らないのですが、調べてみると面白いかも。
なお、今回はアレな文章ばかりを紹介しましたが、もちろん素敵な佳篇も多いので、是非御覧になってください。朔太郎などは、素直に褒めることはせずに、なかなかひねくれてはいるのですが、伊香保の「中庸」な雰囲気がよく伝わるような感じがします。
(行った時は、榛名山も榛名湖も雪に閉ざされていました)
追記