辞書――大は小を兼ねない

お約束の、たまにはマジメで教訓臭いことを書く、と。


特に語学関係の辞典で顕著な傾向ですけど、新しい(大型の)辞書を購入した途端に、古い(小型・中型の、学習用の)辞書を捨てたり、売ったりする人が多いようです。
どんなに大きな辞書を買ったとしても、誘惑振り切って小さいのは取っておきましょう。
なかには、箸にも棒にもかからない辞書もありますが、その場合は、そもそも購入を決めた自らの不明を恥じるためにも取っておいたほうがいいということになります。
学習用の辞書であっても、手元に置いておくべきで、例えば漢和辞典の場合なら、

戸川芳郎監修『全訳漢辞海』(三省堂 2000年)

がオススメ。収録見出し語(熟語)数は5万で、『角川 新字源 改訂版』の約6万などと比較して、決して多いとはいえないのですが、六朝〜初唐にかけての中世語を積極的に採用しているのが強み。

天下神器、不可虚干、必須天賛与人力也。  (呉志・孫策伝・裴松之注所引『呉録』、中華書局点校本『三国志』1106頁)

この「虚干」という語が難解。漢語を調べるときは、『大漢和辞典』(諸橋大漢和)や『漢語大詞典』にあたるのが常道なのですが、「虚干」はいずれの辞書にも収録されず。ところが、『全訳漢辞海』には、

【虚干】 確たる証拠もなく事を行う。

と立項されています。もちろん、辞書の語義説明というのは、そのまま信用すべきではないのですが、一応の目安になるわけで、中型辞書だからといって引く手間を惜しむべきではない。ほかにも、

観文約所為、使人笑来。吾前後与之書、無所不説、如此何可復忍。 (魏志・張既伝・裴松之注所引『魏略』、中華書局点校本『三国志』476頁)

の「笑来」などというのは、意味は一見して明瞭のような気もします。でも、実は、藤井守編『三国志裴氏注語彙集』にも採用されていていて(134頁)、中世語扱いされています。そこで、『全訳漢辞海』を引くと、

【笑来】 笑ってしまう。 「来」は、完了の意を表す助詞。

と、意外と見落としがちな語法であったと気づかされます。そして、「笑来」も、『大漢和辞典』や『漢語大詞典』には載っていません。