「古典のなかの古典」を読む(1)

先週、とある人に勧められて、イヤイヤ『東大教師が新入生にすすめる本』(文春新書)を読む。新入生は100冊とか200冊とか変に乱読しないほうがいいのではないでしょうか。ブックガイドの類は、もっと簡潔であるべきではないですか。
例えば、西洋文学を専攻する学生・院生に対しては、私は「聖書とシェイクスピアだけは読んでおけ」と言います。あとはとりあえず要りません。私の愛読書の一つである市河三喜西川正身・清水護編『英文引用句辞典』(研究社)を御覧ください。「The Bible」「Shakespeare」「Miscellaneous」という三部構成になっていて、聖書とシェイクスピアだけで全体の70%以上を占めているわけです。
つまり、西洋文学というのは、それだけ大量に聖書とシェイクスピア作品の「本歌(本説)取り」をしているということで、末端の100冊を読むよりも、そういった「本歌」「本説」――「古典のなかの古典」――を読むことこそが大事なのでは。
というわけで、営業妨害をするつもりはないですが、『東大教師が新入生にすすめる本』を手にして、そこに紹介されている本(かなり大量ですが・・・)を読破しようとしている、そこのアナタ、そんなのはいいから、聖書 *1シェイクスピア *2 をどうぞ。これらを読破するだけで相当時間がかかりますが・・・。

*1:新共同訳でいいでしょう。「外典」にも目を通したい。

*2:なかでも『ハムレット』の影響力は圧倒的ですね。ある貴婦人が『ハムレット』を初めて読んだときの感想が、「まあ、『ハムレット』って、引用文ばかりなのね(full of quotations)」だった、という西洋の笑い話があるほどです。もちろんこれは、『ハムレット』の表現を後世の作家が非常に多く取り込んでいて、また、人々の普段の会話でも何気なく『ハムレット』を引用して、人口に膾炙していたというオチ。