「古典のなかの古典」を読む(2)

以前、前田雅之氏(東京家政学院大学教授)が講演のなかで、日本古典文学に最も大きな影響を与えた作品は『古今和歌集』・『伊勢物語』・『源氏物語』・『和漢朗詠集』の四つだと仰っていたのを聞いて、なるほどなと思いました。これらの文学作品は、近代的な国文学研究が始まる前から長い研究史を持っている――言い方を変えれば、注釈書がもっとも多く残っているわけです。古典時代にすでに研究・講読の対象だったという点で、「古典のなかの古典」と呼ぶにふさわしいのではないでしょうか。
例えば、『古今和歌集』については、新日本古典文学大系古今和歌集』(岩波書店)の巻末付録「古今和歌集注釈書目録」に、明治以前に成立した注釈書 *1として196種もの書名が列挙されています。本文への傍記や頭書などの書き入れや、失われてしまって現存しないものまで含めると、それこそ数知れずでしょう。
もっとも、中世に作られたこれら古典の注釈書は、秘伝的な説話集だといったほうが正確かもしれません。
一例、『古今和歌集』夏部の冒頭歌「わが宿の池の藤波咲きにけり山ほととぎすいつか来鳴かむ」(よみ人知らず。左注に「この歌、ある人の曰く、柿本人麿が也」)に対して、『弘安十年古今集歌注』*2は、

聖武天皇の御時、人丸大和国十市郡に家を作て住ける時、家の藤波のさきけるを見て読る也。

と、もっともらしい作歌事情の説明を行ないます。「講釈師、見てきたような嘘を言い」の類ですね。
伊勢物語』(第六十段)にも見られる「五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする」(よみ人知らず)にいたっては、

大国には、五月五日に必ず橘花を酒に入て飲。されば五月を待と云。花橘の袖の香と云に二義あり。一には、日本記云、天武天皇の御時、百済国より橘を日本へ渡す。帝、目出思食して、是を御袖につつみ給。崩御の後、御衣を取出たりければ、橘の香袖に匂ふ。其の時、参議岡丸と云人、御衣の御袖を顔にをしあてて泣々読めり。
  なき跡のかたみとてにや橘の匂ひばかりをのこしをきけん
(中略)
此の五月まつの歌は貞観十三年四月に、清和の御時に、業平、宇佐の勅使に下りける時、小野小町は、もとは業平が妻にてありしに、離れて後、宇佐の使承の官人大江惟章が妻に成て、彼所にあると聞て、業平、「女主見参せん」と云ければ、小野小町、此歌を読て出せり。

天武天皇といい、小野小町といい、最初から最後までネタ話。そこが面白い点なのですが。ちなみに、業平と小町が夫婦(恋人)関係にあったという伝説は、実は、『伊勢物語』のある段から生じたものです。お時間のある方は探してみてください。

*1:古今集の注釈書だけでなくて、歌学書も若干含まれています。

*2:書名は便宜。『中世古今集注釈書解題(二)』所収。読みやすさを考えて、原文の片仮名を平仮名に改めた