『和漢朗詠集 現代語訳付き』


(底本となった伝行成筆粘葉本和漢朗詠集。『御即位20年記念特別展 皇室の名宝2』72頁。ちょうどこの「初冬」の部分、後で問題になります)
 底本の粘葉本和漢朗詠集翻刻・影印→ かな名蹟全集. 第2(1) - 国立国会図書館デジタルコレクション 等4冊。
 文化史的に極めて重要なテクストの訳注書が文庫本で刊行されることの意義は大きいですね。裏表紙に「編者公任がどのように詩句や和歌を選択・配列し、主題を表現したかという文学作品としての読み方も懇切に示す」とあるように、構成という問題は著者の得意の一つです(参照:http://ci.nii.ac.jp/naid/120004709903)。それぞれの部立に付された解説(「*」以下の部分)をまずは通読してみるのが良いかもしれません。
 文庫という限られたスペースのなかで、表現の問題を鋭く捉える箇所を目にすると嬉しい。

月光を霜に喩えるのは常套的だが(〔夏夜〕一五〇は一例)、蘆花に喩えた例は中唐の戎碰「中秋の夜、楼に登りて月を望み人に寄す」詩に「(月光を)稍(やや)誤つ蘆花の雪を帯びて平らかなるかと」と見えるが、数は少ない。しかし蘆花を雪や霜に喩える例は多く、これを月光に応用したか。

(127頁。246「自疑荷葉凝霜早 人導蘆花過雨余」注)


 買ったばかりでまだちゃんと目を通していませんが、気づいたことをほんの少しだけ。


 429「天くだる現人神のおひあひを思へば久し住吉の松」、この第3句「おひあひ」は諸注は「あひおひ」(相生)に改めますが、本書は底本のままです。そして、注に、

拾遺集』には「あひおひ」とあり、意味は同じ。

(217頁)と、さらっとあることに唸ってしまいました。なるほど、「あひおひ」は普通ですが、「おひあひ」は見かけない語です。しかし、『古語大観 第一巻』等も指摘する通り、この「おひあひ」は平安時代に実際にあった形なのです。
元永本古今和歌集仮名序 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1139794/20 (「おいあひ」)
筋切(古今和歌集仮名序) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/927416/24 (「おいあひ」、「あ」「お」を傍記)


 451「和歌の浦に潮満ちくらし潟をなみ蘆辺をさして田鶴鳴きわたる」、あれ?第2句「潮満ちくれば」ではなかったっけ・・?と思ったあなたは和歌に詳しい人。しかし、これも底本を尊重した結果です。なので、当然、現代語訳は「和歌の浦に潮が満ちてきたらしい」(227頁)二句切れ。


 756「范蠡収責 棹扁舟而逃名 謝安辞功 伏孤雲而養志」、最後の句は日本古典文学大系本・新潮日本古典集成本・新編日本古典文学全集本、いずれも「伏」の字を「鞭」に作る。つまり、「孤雲に鞭(むちうつ)て志を養ふ」とします。まあ、『本朝文粋』所収本文ではそうなっていますしね。しかし、本書はここでも底本の表記を採る。最近の注釈では初めてのことではないでしょうか。


 純粋な疑問点もあります。どなたか御教示ください。
 186「蛍火乱飛秋已近 辰星早没夜初長」、この「辰星」がどの星を指すのか、主に北極星説と水星説があったのですが、本書では、さそり座の巨大赤星アンタレスのことだとします(99頁)。
 この説の当否は、私には判断できません。私などは「これは『星辰』の誤りなのではないの?」と安易に考えたくなるのですが・・・


 227「蜀茶漸忘浮花味 楚練新伝擣雪声」、「浮花」の語が難解。本書の注では、

水に花を浮かべて飲むという説(『永済注』などの『和漢朗詠集』古注釈)と、湯を素子だ時に粟が茶碗の面に浮かび出たものをいうとする説(柿村『和漢朗詠集考証』)とがあるが、中国の点茶に関する文献に拠れば後者。ただし平安時代の日本人がいずれを「浮花」と認識していたかは不明。

(117頁)「中国の点茶に関する文献」とは具体的には?


 557「王尚書之蓮府麗則麗 恨唯有紅顔之賓 嵇仲散之竹林幽則幽 嫌殆非素論之士」、「中散大夫」を「仲散大夫」と表記することはあるのでしょうか・・・?


 誤りもいくつか。見つけたなかで一番まずいのは353「四時牢落三分減 万物蹉跎過半凋」の「牢落」についての注でして、

底本「零落」とするが、他本により改める。

(177頁)上にあげた図録の画像で明らかなように、底本は「牢落」であって、「零落」とする他本があるのです。他本と混同されたのでしょう。


 308「城柳宮槐漫揺落 愁悲不到貴人心」、読み下し文および注では何の断りもなく「愁悲」(底本はこの表記)が「秋悲」(秋の悲しみ)になっています。「秋悲」のほうがいいとは思うのですが、一言断らないと読者は戸惑うでしょう。


 624「風翻白浪花千片 雁点青天字一行」、これも本文は問題ないのですが、注では「雁点清天」(311頁)となっています。実はこれ、底本が「清天」になっているのです。