使い分けたい読み癖

 『ロンゴシッカイ』(書名『論語集解』の「集解」のよみかた - Cask Strength)はどの業界でも異論が出ないものなので、特に問題はないのですが、たまに不思議なものが出てくる。
 以下は白居易「牡丹芳」の一節です。

庳車軟輿貴公主
香衫細馬豪家郎

 この「庳車」(座席の低い車)「軟輿」(座席の柔らかい輿)を音読みしなさい。(持ち込み可。10点)
 どうでしょうか。辞書を引くなり、注釈書を読むなり、おそらくほとんどの方が「ヒシャ」「ナンヨ」とお答えになると思います。
 それはそれで問題は全くないのですが、実は、数世紀にわたって日本人はそのようには読んでいなかったようなのです。

太田次男空海及び白楽天の著作に係わる注釈書類の調査研究 下』95頁)

(『宮内庁所蔵 那波本白氏文集 一』97頁)
 この箇所、伝統的に「ヒ(コ)キョ」「ゼン(ム)ヨ」と発音していたらしい。中国文学者は意外に思われるでしょう。
 そのことは、この二句を採録する『和漢朗詠集』でも確認できます。

http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/bunko30/bunko30_d0037/bunko30_d0037_0002/bunko30_d0037_0002_p0028.jpg
 なお、『和漢朗詠集』や『白氏文集』の古写本を見ると「庳車」が「庫車」になっていて「コキョ」と訓むものが多いことにも注意が必要ですが、それはさておき、「車」を「キョ」とよみ、「軟」を「ゼン」とよむとはこれ如何に。
 念のために言いますと、「車」に「キョ」という音があることは確かです。『釈名』(釈車)にこうあります。

車、古者曰車。声如居。言行所以居人也。今曰車。声近舍也。(以下略)

――『車』は、昔は『車』(キョ)という。『居』(キョ)のような音。行くときに人がそこに居るものだということである。今は『車』(シャ)という。『舎』(シャ)のような音・・・。『広韻』(平上)の「九魚」(小韻「居」)も参照してください。
 「ゼン」について言えば、「ゼン」は「軟」の漢音なのです。
 というわけで、「キョ」にせよ「ゼン」にせよ、虚構の音ではないということは押さえられるのですが、そうだとしても、どうしてこのような馴染みの薄い音でわざわざ読んでいたのか。ちゃんと調べたことがないので、私にはよくわかりません。
 この箇所を朗読しなくてはいけない事態になったら、「ヒシャナンヨ」とよんでおくのが無難だというのが私の考えです。しかし、もし、誰かがここを「ヒ(コ)キョゼンヨ」とよんだとしたら、その時は涼しい顔をしておくといいでしょう。