求む:「岩波文庫『万葉集』についての覚え書(仮称)」 - Cask Strength のような記事を書いてしまったがために、「第3巻が出たのだから、当然、今回もひとことあるでしょ?」みたいなプレッシャーに晒されていますが、本当に勘弁してもらいたい・・・w
- 作者: 佐竹昭広,山田英雄,工藤力男,大谷雅夫,山崎福之
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2014/01/17
- メディア: 文庫
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1774 たらちねの母の命の言にあらば年の緒長く頼み過ぎむや
反語に解していますが、新大系では第5句が「頼み過ぐさむ」。岩波文庫の注では「「頼み過ぐさむ」と訓み、頼りにして過ごそうと解釈する説もある」と、例のように他人事。
2030 秋されば川霧立てる天の川川に向き居て恋ふる夜そ多き
第2句、新大系は後撰集の類歌などを援用して「川霧わたる」と。でも、やはり古代の歌の表現っぽくない、という判断でしょうか。
2248 秋田刈る仮廬作り廬りしてあるらむ君を見むよしもがも
第1句、新大系は「秋山を」。新大系の脚注を一部引用しましょう。
初句原文、西本願寺本「秋田[口+刂]」。(中略)訓は、元暦校本以下「あきやまを」。原本文は「秋山[口+刂]」だったと推定される。→一四〇五。新潟方言には「やま」の語が「田」を意味する場合があるという(『日本方言大辞典』)。万葉考は「[口+刂]」を「苅」の誤りと見なし、「あきたかる」と訓んだ。この説の支持者も少なくない(古典文学大系、古典文学全集、『全注』など)。
題詞は「寄水田」なので、やはり「秋山」はそぐわないし、方言で「やま」に「田」の意があるというのはいかにも牽強付会の感あり。文庫本のよみが穏当では。
2315 (歌省略) 或いは云ふ、「枝もたわわに」
類聚古集・西本願寺本などの原文は「多和ゝゝ」。下の「ゝ」を「尓」か「二」の誤字と考える。
おそらくは校注者のお一人、工藤力男氏の説。
2406 高麗錦紐解き開けて夕とをも知らざる命恋ひつつやあらむ
「夕と」は原文「夕戸」。新大系ではこの「戸」を「谷」の誤字とみて「夕だに」とよんでいます。
2962 白たへの袖並めずて寝るぬばたまの今夜は早も明けば明けなむ
「袖並(な)めずて寝る」は新大系では「袖離(か)れて寝る」。原文は「袖不数而宿」で、「不数而」を「かれて」とよむのは相当無理があるわけですが、これを義訓的用法として受け取る以外名案がなかった、チャレンジングな句。岩波文庫の注、
難訓で、ソデカレテヌル・ソデマカデヌルなどの訓があり、誤字説も提出されている。いまは代匠記の説により、「馬数而」を「馬並めて」(四)と訓むのに準じて訓む。数えることは並べることと関係が深いからである。あるいは、「織女の袖つぐ夕の」(一五四五)の例を参照して、「袖継がずて寝る」と訓むことも可能か。どちらの訓みでも八音の字余りになるが、「このころ聞かずて」(二三六)と同様に考え得る。
3040 後つひに妹に逢はむと朝露の命は生けり恋は繁けど
第2句、新大系は「妹は逢はむと」。主語が異なるわけだ。岩波文庫の注、
第二句の原文は「妹尓将相跡」。「尓」のない元暦校本・広瀬本の本文によって「妹は逢はむと」と訓むことも多い。しかし、「後(に)も逢はむ」という類型表現の「逢ふ」の主語は必ず発話主体であること、また「後も逢はむ妹には我は」(二四三一・三〇一八)、「ありさりて後も逢はむと思へこそ露の命も継ぎつつ渡れ」(三九三三)などの類例をも参照して、妹に逢うために命を長らえたいと詠うものと解する。