『増補 求道と悦楽』

 私の愛読書が増補・文庫化されました。一押しの本です。

増補 求道と悦楽――中国の禅と詩 (岩波現代文庫)

増補 求道と悦楽――中国の禅と詩 (岩波現代文庫)

 実践としての禅に関心のある方は、まずは本書の「禅と文学」「雨垂れの音」「臨済録雑感」や『空花集』所収「明と暗」「南泉斬猫私解」辺りをお読みになると得るところが多いと思いますが(特に緊迫感溢れる「南泉斬猫私解」は必読)、やはり、入矢氏の面目は博覧の上に立っての、テクストの表現と向き合う際の真摯な態度にあることをこのたび改めて痛感しました。私は一生かけても広く深くという「博覧」のレベルに達する見込みがないので、せめて、「氏にとっての読書は、たえざる自己との対話、古人の言葉を通して自己を検証するという、きわめて求心的な姿勢であったようだ」(解説344頁)という点を心がけたい・・・
 なお、文学作品を読む・研究するに際してのアドバイスは前掲「臨済録雑感」の108〜109頁等に書かれてあります。この立場が主題として全編を貫いていることは直ちに了解されるでしょう。「ことば」にこだわることの重要性とともに、「自分の感性を柱にして読みなさい」(「この人にきく」335頁)と強調することも注意されるところ。
 さて、新たに増補された六編のうち、特に重要なのは「白居易の口語表現」です。白居易「酔歌」の形式は民歌「十二時歌」にもとづくという鋭い指摘から始まって(謝思煒『白居易詩集校注』の注(975頁)でも取り上げらました)、学ぶことばかり。注の部分も、たとえば、

任二北(半塘)『敦煌曲校録』(上海文芸聯合出版社、一九五五年)。同氏は後にこれを増広した『敦煌歌辞総編』三冊を出したが、かえって校訂や注に誤りや臆断が増えているので、これは用いないことにする。

(279〜280頁)等、じわじわと来る味わい深さ。まあ、初出論文で読んでいたはずなのに、私はその『敦煌歌辞総編』を結構な値段で買ってしまったクチですけど!(もちろん、後に項楚『敦煌歌辞総編匡補』をちゃんと購入しました^^;)
 注といえば、注四で「未発表」として挙げられている Victor H. Mair "Buddhism and the Rise of the Written Vernacular in East Asia: The Making of National Languages" は The Journal of Asian Studies Vol.53 No.3 (1994 Aug.)に掲載されましたので補足しておきます。 The Journal of Asian Studies: Volume 53 - Issue 3 | Cambridge Core


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