藤原道長「御堂関白記」
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道長は全くの子煩悩で(そこらへんは政治的な理由もあるのですが、それはともかく)自分の子どもたちや外孫の皇子たちが関わる儀式等を記録する際のことばの端々に、道長の喜びが率直に表しだされていて、『御堂関白記』を御覧になるときはその点に注意するといいかもしれません。
『栄花物語』
『御堂関白記』は何が興味深いかというと、歴史物語『栄花物語』や『大鏡』と比較して読めることですね。
長保六年(寛弘元年、1004年)の二月五日。道長の嫡男で前年に12歳で元服したばかりの頼通が春日祭使(藤原氏の氏神である春日社の二月と十一月におこなわれる春日祭に派遣される使者)として出発した翌日の六日条に、道長と左衛門督(藤原公任)および花山院との間で取り交わされた和歌が記録されています(上巻、72〜73頁)。
六日。雪が深い。早朝、左衛門督の許へこのように云って送った。
若菜摘む春日の原に雪降れば心遣ひを今日さへぞやる
(=若菜を摘む春日の原に雪が降っているので、心配を今日、遣わしたことだ)
その返り事は、
身をつみておぼつかなきは雪やまぬ春日の原の若菜なりけり
(=身にしみて心許ないのは、雪がやまない春日の原の若菜であることよ)
花山院から仰せを賜った。女房を遣わして贈られた。
我すらに思ひこそやれ春日野のをちの雪間をいかで分くらん
(=我でさえも心配なことだ。春日野の遠い雪間をどのようにして分け入っているのであろう)
私の返り事は、
三笠山雪や積むらんと思ふ間に空に心の通ひけるかな
(=三笠山に雪が積もっているだろうと思っている間に、空に心が通ったことであろう)
大雪のなかで春日祭使の大役をこなしている子どもを思いやる父親の心情が素直にあらわれていますね。さて、この歌のやりとりが『栄花物語』巻八「はつはな」にも描かれていますが、『御堂関白記』とは少し異なっています。
たゝせ給ぬる又の日、雪のいみじう降りたれば、とのゝ御前、
若菜摘む春日の野辺に雪降れば心づかひを今日さへぞやる
御返し、四条大納言公任、
身をつみておぼつかなきは雪やまぬ春日の野辺の若菜なりけり
これを聞こしめして、花山院、
我すらに思こそやれ春日のゝ雪間をいかで鶴(たづ)の分くらん
など聞えさせ給。
まず、道長と公任の贈答歌で「春日の原」が「春日の野辺」になっていること、また、道長の「三笠山…」の返歌がないことが注意されますが、歌の表現としては、花山院の「をちの雪間をいかで分くらん」が「雪間をいかで鶴(たづ)の分くらん」(雪間を鶴はどのように分け入っているのだろうか)になっているのが大きな違いです。
なぜここで急に「鶴」が出てくるかというと、「たづ」というのは頼通の幼名でして、つまり、『栄花物語』での花山院の歌は、冬の渡り鳥の鶴に頼通(たづ君)を掛けたという趣向になっているのです。
『御堂関白記』に記録されたほうは素朴、平明な詠み振りですが、『栄花物語』のほうは技巧が勝り過ぎているような気もします。