先週とある日の雑談から思い出したこともあって。
祖父が昔突然「ヨ、カノハリョウノショウジョウヲミルニ、ドウテイノイッコニアリ・・・」と朗誦を始めたときには何のことかと思いましたが(祖父は「お前こんなのも知らないのか」という顔をしていましたが)、これが「岳陽楼記」の一節であったと気付いたのはだいぶ後になってからでした。戦前の教育を受けた人にとって『古文真宝』は漢文の教科書的存在として大きな意味を持っていたのですね。
私は『古文真宝』を復権させようというつもりはあまりありません。素性のよくわからない本でして、中国ではだいぶ早くに廃れました(四庫全書にも入っていません)。本文も、信頼性の高い他のテクストと校合するとどうも具合の悪いところがある。一言でいえば「俗書」です。その歴史的使命は終えたと言っていいと思います。
中国では『古文真宝』の代わりによく読まれているのが清代に成立した『古文観止』です。こちらはいまだに現代語訳本が毎年のように刊行されているので教育現場でも現役なのでしょう。編集方針や収録範囲が異なるので、そのまま比較するのは筋違いかもしれませんが、たしかに一瞥して『古文観止』のほうが真っ当そうな印象を受けます。
それでも、「これくらいの作品は読んでおけ」という心づもりで編集しているのが『古文真宝』の俗書なりの良さだとも思うのです。ついでのことでもあったので、『古文真宝』後集に収録されている散文作品と『古文観止』に収録されている作品のうち、どれが重複しているのか見てみました。この二つで重複していれば、その作品の「古典」としての重要度は高いということになるのではないかと思いまして。その結果、重複していたのは、
- 陶淵明「帰去来辞」
- 杜牧「阿房宮賦」
- 欧陽脩「秋風賦」
- 蘇軾「赤壁賦」
- 蘇軾「後赤壁賦」
- 韓愈「師説」
- 韓愈「雑説」
- 韓愈「進学解」
- 李白「春夜宴桃李園序」
- 韓愈「送孟東野序」
- 韓愈「送李愿帰盤谷序」
- 王勃「滕王閣序」
- 王羲之「蘭亭記」(蘭亭集序)
- 王禹偁「待漏院記」
- 王禹偁「黄州竹楼記」(黄岡竹楼記)
- 范仲淹「厳先生祠堂記」
- 范仲淹「岳陽楼記」
- 司馬光「諌院題名記」
- 李覯「袁州州学記」
- 欧陽脩「酔翁亭記」
- 蘇軾「喜雨亭記」
- 劉禹錫「陋室銘」
- 孔稚珪「北山移文」
- 李華「弔古戦場文」
- 陶淵明「五柳先生伝」
- 柳宗元「種樹郭橐駝伝」
- 王安石「読孟嘗君伝」
- 蘇軾「潮州韓文公廟碑」
- 柳宗元「桐葉封弟弁」
- 韓愈「諱弁」
- 諸葛亮「出師表」
- 諸葛亮「後出師表」
- 李密「陳情表」
- 韓愈「原道」
- 賈誼「過秦論」
- 李白「与韓荊州書」
後日、『文章軌範』所収作品との重複も調べてみようかなと。