『荘子校詮』について

 福永光司氏『荘子 内篇』を紹介(福永光司『荘子 内篇』について - Cask Strength)した都合上、本来はただちに世界古典文学全集『老子 荘子』(筑摩書房)を取り上げなくてはいけないのですが、昨日落掌した『荘子校詮』の注釈をぱらぱらと見ていていろいろと思うところがあったので、先に『校詮』を。

「(飄)風振海」

 とりあえず一例。世界古典文学全集本をダシにして『校詮』を持ちあげるという趣向ですがご容赦を。
 齧缺と王倪の問答の場面(『荘子』斉物篇)で、激しい雷が山を破り、風が海を振り動かしても(「至人」を)驚かすことはできない、といった発言があります。原文は「疾雷破山風振海而不能驚」ですね。お手元の『荘子』で確認してみてください。どのテクストでも本文はこうなっているはずです。
 ところが、世界古典文学全集本は「風振海」の箇所を「飄風振海」にします。「飄」字があろうがなかろうが、この「風」は海をうねらせるような疾風のことなのだからどうでも良いではないかと思われるかもしれませんが、綿密な本文校訂は正しい解釈の前提になるものですから、どんな場合でも疎かにすべきではありません。
 「飄風振海」とした理由を世界古典文学全集本は注(興膳宏氏)でこう説明します。

各本とも「飄」字を欠くが、『闕誤』に引く江南李氏本によって補う。「疾雷破山」と「飄風振海」とで対句を構成するからである。

(115頁)
 以前(多分2006年頃)これを読んだ瞬間、直感的に「飄風振海」が正しい本文だと思ったところです。しかし、よくよく考えてみますと、これはかなり危うい。なにしろ、「飄風振海」にしているのは、多くの『荘子』諸本のなかで『荘子闕誤』(漢文大系『荘子翼』の巻末に収録されています)が言及する一本だけで、それが正しいとする根拠は四字の対句を形成して整然とするからだ、と言うに過ぎないのですから。新釈漢文大系本や全釈漢文大系本のように、本文の異同に言及するにとどめるのが最も慎重な態度でしょう。

「飄風振海」の根拠

 しかし、このたび『荘子校詮』の注を目にするに及んで「興膳氏は確信をもってあの校訂をなさったのだな」と改めて思ったところです。紙幅の都合で考証の部分を省略せざるを得なかったのでしょう。
 実はすでに『校詮』(1988年初版)が「飄風振海」を主張していて、その根拠を列挙しています。

(上巻84頁)
 成玄英の疏に「飄風濤蕩而振海」とあることから、成玄英が見ていたテクストには本文が「飄風」とあって対句をなしていたはず。現に当該個所に論及した則陽篇の疏でも対句をなしている(もっとも、ここでは「大風」なのですが)、というわけです。注文の表現をもとに本文の誤脱を訂正するのはテクストクリティークの常道の一つでして、これは割と有力な証拠です。
 それだけではありません。『太平御覧』巻506に引用される皇甫謐『高士伝』の逸文に当該箇所が引用されていて、そこには「暴風振海」(『記纂淵海』巻86が引くものには「狂風振海」)とある。「飄風振海」とはなっていないけれど、少なくとも「風」ではなくて「〇風」と熟語になっているではないか、これは「風」の上に脱字がある傍証になる、ということです。諸書に引用される文を利用するというのも、説得力を増す有効な手段となります。
 ただし、李白の例はどうでしょう。これは李白の修辞の問題なので、私はこれは強い証拠にはならないと考えますが。ともあれ、現行本『荘子』に脱字があることは上の説明で十分納得できるのではないでしょうか。つまり、今でこそ諸本には「風振海」とあって「〇風振海」という本文は多数決的に分が悪いが、遡ること1000年前は「〇風振海」とする本のほうが普通に流通していたらしい。もし「〇風振海」が本来のかたちであったとすれば、『荘子』一本にあったとされる「飄風振海」が俄然有力な本文として浮上してくるというわけです。
 もちろん、これでは決定打にならないと考える方もいらっしゃるでしょう。しかし、大事なのは、そういうことを考えるための足がかりを『校詮』が与えてくれているということです。