吃音存疑

 昨日のエントリ(古典文学に見られる吃音の実例 - Cask Strength)で吃音の実例を取り上げたのですが、せっかくなので、これは違うだろうけど面白い、という例を一つ。
 かつて『尚書』の「洪範」「金縢」「顧命」といった辺りを真剣に読む機会があって、江声『尚書集注音疏』に目を通していました。顧命篇は周の成王が危篤に陥った際の遺言を記録したものだとされます(王国維は本篇を非常に重視しました)。そのなかに「昔君文王武王宣重光奠麗陳教則肄肄不違」という一節があり、「奠麗陳教肄肄則不違」の部分をどう読むかが問題となります。
 孔伝や『尚書正義』といった伝統的な解釈では「奠麗陳教則肄。肄不違」と断句して「肄」を「労」の意だとします。「則ち肄(つと)む。肄むれど違はず」(苦労した。苦労したけど道は外さなかった)という理解です。
 それに対して、江声の解釈はユニーク(「肄」の訓詁も異なりますが、それはさておき)でして、

…重言之者、病甚気喘而語吃也…蓋病革則気欲絶、而息急喘者息之急也。喘則出語、難渋如口吃。

(『尚書集注音疏』、「皇清経解」巻398)
 つまり、「肄肄」と言葉を繰り返しているのは、病が重くなったときに息切れがする、その際に言葉がうまく出なくて吃音のようになったもの、というわけです。「奠麗陳教、則肄…(ゼーゼー)…肄不違」といった語気を写しとったのだという。
 面白い説です。でも、面白過ぎて、いくらなんでも無理です。