戦国時代のキラキラネーム

 【画像あり】甥っ子のクラス名簿ぱくったら名前がけっこうぶっ飛んでてわろた : 暇人\(^o^)/速報 - ライブドアブログ
 いやまあなんというか、キラキラネームも親の自己満足じゃなくて子どもの健やかな成長を願う気持ちが込められていることを祈るよ・・・
 そういえば、戦国時代も後期になるとキラキラネームが流行したようです。これは本人がつけているのだけど。

且也毎莅軍陣。為勇名以知于敵。改姓異名。欲不与衆同者間有之。所謂若鵜北六花氏。吉見八谷党。里見八犬士。尼子七馬九牛十勇介。大内十杉党。上杉十五山党。朝倉十八村党。及山中狼之介野中牛助。不遑枚挙也。其名所載軍記。事実多不詳。素是史闕文歟。以類想像此。則暴虎憑河之勇已矣。蓋戦国澆漓士風。武勇有余。而文学不足。徒倡異好奇。為俗如此。鳴虖野哉野哉。

(『南総里見八犬伝』第9輯自序)
 馬琴は『燕石雑志』(巻一)でその実例として「正親町院の永禄の比より、諸国の武士等に奇異なる名おほかり。その十が二三をいはゞ、山中鹿之介幸盛、秋宅庵介、寺本生死介、尤道理介、藪中荊介、小倉鼠介、山上狼右衛門、【以上尼子の家臣】・・・」といった名を挙げており、珍名が名乗りに際して周囲に強い印象を与えるのは古今変わらず・・・。
 ちなみに、あまり知られていないかもしれないけど面白い珍名説話は『沙石集』巻四の「上人子持タル事」でして、

信州ノ或山寺ニ上人アリ。三ノ腹ニ三人ノ子ヲモテリ。初ノ腹ノ子ヲバ、マメヤカニ忍々カヨイケレバ、上人ノ子ト云テ具シテ来レドモ、不審ニ覚テ、名ヲバ「思ヨラズ」トゾ付タリケル。次ノ腹ノ子ヲバ、時ニハ我房ニモ忍ビ/\カヨイテスミケレバ、ヒタソラ疑ノ心モウスクシテ、名ヲバ、「サモアルラム」トゾ付タリケル。後ノ妻ハ、ウチタヘ家ニ置テ疑ノ心モナカリケレバ、其腹ノ子ヲバ、「子細ナシ」トゾ、付タリケル。

 最初の子が生まれて「あなたの子です」と連れてこられた際には、身に覚えはあるものの、「思いも寄らず」と命名。二人目のときは女を時々自分の部屋に通わせていたために不審の気持ちも少なく、「さもあるらむ」。三人目は実子と確信していたので「子細なし」(異常なことではない、異議はない)と。