真・初心者のための仏教講座(6)

 いよいよ最終回で、どの仏典を読むべきかというお話ですが、これは(4)で言及したように、宗派任せということになります。
 そういうと何やら語弊がありますが、要するに、天台宗であれば「法華具経」と総称される『法華経』(開経の『無量義経』と結経の『観普賢経』を含む)・『般若心経』・『阿弥陀経』に行きますし、真言宗であれば『大日経』『理趣経』等に行くといった具合に、宗派ごとに「所依」の(よりどころとなる)お経が異なるという意味です。同じ仏典でも宗派間で解釈が異なるのは言うまでもありませんが。
 現に、「倶舎宗」「成実宗」「三論宗」「華厳宗」は依拠するお経の名前がそのまま宗派の名前になっています。それぞれ、『倶舎論』、『成実論』、『中論』・『百論』・『十二門論』(総称して「三論」)、『華厳経』。
 所依の経を知る手っ取り早い方法は、たとえば『八宗綱要』を参照するとかいろいろあるのですが、法然『黒谷上人語燈録』(漢語燈録)巻10の「浄土初学鈔」の「諸宗経疏目録」という箇所はそれを一覧で示してくれていて便利です。たとえば、天台宗は、

 巻数の下にあるのは著者(訳者)名で、「羅什」は鳩摩羅什、「天台」はもちろん智邈のこと、「妙楽」は湛然を指します。『妙法蓮華経』の後に列挙されている『法華玄義』『法華玄義釈籤』『法華文句』『法華文句記』・・・といったものは古典的注釈書や解説書です。
 『倶舎論』の注釈である『倶舎論頌疏』は紹介しましたが、こういう注釈を読むというのは「初心者」の範疇をもはや超えているものなので「ああそういうものなんだな」くらいに思っていただければ良いと思います。それでも、将来もし挑戦する機会があればということで、頭の片隅に置いてもらえれば。
 天台の話のついでですが、『法華玄義』以下、『摩訶止観』『止観輔行伝弘決』までの6部の著作は大変多くの読者を獲得してきました。『摩訶止観』は注釈書ではなく、観法を説いた修行実践の書でして、禅や念仏に関心がある方々もきっと得るところがあると思います。
 最後になりますが、いわば教養として幅広く受容されたはずの経典ももちろんあって、たとえば、南京三会で使用された『維摩経』・『最勝王経』・『仁王経』や、『法華経』や浄土三部経(『無量寿経』・『観無量寿経』・『阿弥陀経』)といった辺りの影響力は宗派を超えてケタ違いでした。『金剛般若経』ももちろんそうで、最後のほうにある偈「一切有為法 如夢幻泡影 如露亦如雷 応作如是観」(一切の有為法は、夢・幻・泡・影のごとく、露のごとくまた雷のごとし・・・)は古典時代の人だったら誰もが知っていたはずです。こういったところから読み始めると良いかもしれません。
 文学作品としても面白いのは『維摩経』『華厳経』『法華経』ですが、スケールの大きさで強烈な印象を与えるという点では『法華経』は群を抜いています。思想的に見ても、『維摩経』では「敗種」とされ、ほかの大乗経典でもことごとく貶められている声聞・縁覚の二乗ですが、『法華経』ではその二乗も含めて成仏できると釈迦が説くわけで、それを聞いた舎利弗らが大歓喜するという場面を読むと、信者でなくても心に感じるものがありますね。『華厳経』も一部おもしろいですけど、全体としてつかみどころがない印象。


 いつかまた補足の話をするかもしれませんが、一応これで完結です。上から目線の話に長いことつきあってくださいまして、どうもありがとうございました。スコラ的側面に関心があるといいながら、教義面にあまり踏み込まなかったのは、わたし自身まだ理解に自信がないからです。お寺詣でや葬式仏教ではない一面をみなさまに垣間見せることができたとしたら、わたしとしては成功したということになります。


【追記】「仏」タグを新設してまとめたので一気に読みたい方はどうぞ → [仏] - Cask Strength 右コラムの「どんなこと話したっけ?」からも入れます。