誤植を見つけるたびにお金をもらえるならば

「誤植発見で一万円」校閲者が書いた本

・・・また、「赤えんぴつ」シリーズで面白いのが、第1作で本に間違いを見つけた人に懸賞を出すと広告で発表したことです。同書の末尾にも編集部から「五字以上見つけた方に一万円進呈。(先着五名まで)」「略字体は誤りとは認めない」「活字不鮮明によるものも誤りと認めない」など細かい規定が記されています。宣伝のおかげか『赤えんぴつ』はよく売れたようで、読者から多数の指摘がありました。

http://www.mainichi-kotoba.jp/2016/11/blog-post_19.html

 誤植、あるいは、校正で見落としたものがそのまま刊行されるというのは本当に恥ずかしいことですけれども、これはもうどんなにがんばっても逃れようがない。私も、つい先日刊行された論文で、初校のときに直そうと思っていたものをすっかり忘れてそのまま刊行されて、人生最大の恥を晒しました(私の場合は誤字・誤植以前の問題で、本当に論外なものなので慚愧に堪えないのですが)。
 それにしても、誤植を見つけたら賞金、といえば「新訂増補国史大系」についてこれに似た話がありまして・・・

新訂増補国史大系完成記念特集号『日本歴史』(第一九四号、一九七頁)に、石村吉甫氏は、《『大系』のミスプリントを見つけたら、一冊下さると、黒板勝美先生がおつしやつた》ことを書いてゐられる。私の記憶では、「まちがひ一つについて五十銭」と承つた。それで、一しよう懸命あら探しをした。(中略)私の大系あら探しは、一つ五十銭でも塵も積れば山となり、一ト財産できるくらゐ有つた。しかし、私はつひにそれを黒板先生の所へ持つて出ることは無かつた。どうも先生の口吻は、「虚心」に聞かうといふよりは、寧ろ、《マ違ヒナンドメツタニスルモノカ。五十銭賭ケテモイヽゾ。》といふ風に感ぜられたので。――果せるかな、石村氏は、せつかく見つけたミスプリントを、「それはもう分つてゐる」と、突つぱなされてゐるではないか。
私の書きとめたあら探しは、其ののち高麗野の流寓などを歴て、失却してしまつた。たま〃〃『本朝世紀』の分だけ残存すること、月報編輯子の知る所と為つて、こゝに其の一部(ホンノ小部分!)を記載する。月報に執筆すると、大系の当該巻一冊を下さるとか。「一つ五十銭」当時、大系一冊は五円であつた故、一冊の薄謝では、まちがひを十条指摘すれば足りるわけだ。だがマア気まへよく、割当の枚数まで書きませう。

(太田晶二郎「本朝世紀校勘」、『太田晶二郎著作集 第二冊』吉川弘文館、1991年。57〜58頁。初出、1964年)
 新訂増補国史大系に関しては別の人もなにか言っていたように思うのですが、失念しました。