「一文字をだに知らぬ者」

 藤原隆清(建保二(1214)年に47歳で薨ず*1)は内大臣信清の弟で、最終的には正三位の参議にのぼり、貴族に列した有力者なのですが、文字の読み書きができなかったらしい。

九条道家の日記『玉蘂』建暦元(1211)年10月13日条。今川文雄校訂『玉蘂』思文閣出版1984年。117頁)
 公務はどのようにこなしていたのでしょうか。というか、社会生活はまともに営めていたのか。
 ところで、細かいことですし、意味は変わらないのですが、この「不知一文字」は「一文字を知らぬ」(文字を一つも知らない)と理解すべきか「『一』の文字を知らぬ」(「一」という字をも知らない)なのか。ここで想起されるのは、『土佐日記』の12月24日条でしょう。

二十四日。講師、馬のはなむけしに出でませり。ありとある上、下、童まで酔ひ痴れて、一文字をだに知らぬ者、しが足は十文字に踏みてぞ遊ぶ。

 『土佐日記』のこの文脈では「『一』の文字」のようです(異論もありますが)。

*1:公卿補任』新訂増補国史大系、第二篇、12頁。