書名は著者が望んだよみで登録すべきではないか 

 図書館目録等を日々利用させていただくなかで気づいたことを問題提起としてたまに記事にしていますが、その今年の第一弾ということで。
 『玄奘三蔵 史実西遊記』(岩波新書)は数年前に復刊されまして、「在庫僅少」ですが、今でも新刊で買えるようです。

玄奘三蔵―史実西遊記 (1952年) (岩波新書〈第105〉)

玄奘三蔵―史実西遊記 (1952年) (岩波新書〈第105〉)

 ほとんどの図書館では本書の書名を「ゲンジョウサンゾウ」で登録しています。CiNii 図書 - 玄奘三藏 : 史實西遊記 音読せよ、と言われればみなさんも普通にそのように読むでしょう。
 でも、本書に限ってはおそらく正しくは「ゲンゾウサンゾウ」です。

(「はしがき」i頁)
 「こまけぇこたぁいいんだよ!!(AA略)」という声が聞こえてきそうですが、実は細かいことではありません。前嶋氏にはそのものズバリ、「玄奘・ゲンゾウの弁」という御論があるのです。

はや十年も昔のことになるが、わたくしは「玄奘三蔵」という書を岩波新書から出してもらった。本文中に「ゲンゾウ」とふり仮名したところ、「お前は東洋史専攻と略歴に書いているが、それならこれ位のことは知りそうなものではないか。ゲンゾウではなくてゲンジョウである」と詰問の手紙を下さった方もあるし、わざわざ来訪されて「ゲンゾウとしたわけは何であろうか。自分もこれについては大に興味をもっているから、ひとつこれこれの雑誌に意見を発表してくれまいか」といんぎんにすすめられた好学の仏家の青年もあった。(中略)幸にして同書は今でも少しずつの読者をもっていて、年々版を重ねている。わたくしとしては頑迷といわれるかも知れぬが、ゲンゾウというよみ方を改める考はない。

(『東西文化交流の諸相』(1971年。初出、1962年)81頁。その根拠については本論を御覧になってください)
 だとすれば、著者が自説を撤回しない限り(撤回は往々にあること)、その意向を尊重するのが筋ではないでしょうか。そして、検索の便宜のために、別名で通行する読みを登録するといいと思います。
 もちろん、一々このようなことを調べる時間的余裕は現場にはないでしょうけど。ただ、目録作成は(歴史的に見ても)それだけ重要な仕事でもあります。その努力の痕跡を見つけると、利用者としては深い敬意を抱くというのも事実です。

http://www.kanabun.or.jp/kensaku.html

University of Toronto Libraries |
【追記】昨日の補足(ちょこっとだけ) - Cask Strength に補足の記事を書きました。