草薙剣

 みなさまご存じのヤマトタケルによる東国征伐において、野火に囲まれて絶体絶命の危機に陥ったところを剣によって周囲の草を薙ぎ払って難を逃れるという有名な話があります。地名「焼津」の起源譚ともなっていますね。
 この場面、多くの方はこういったイメージを抱いているはずです。

(「日本武尊草を薙ぎ火を免る図」『絵入日本歴史』 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1919307/9
 ところが、挿絵付きの童蒙書や年代記の類を読んでいると、たまーに、こんな挿絵を見かけることがあります。

(『倭年代記 上』http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/ri04/ri04_00923/ri04_00923_0001/ri04_00923_0001_p0024.jpg
 右に「やまとたける」、左に「えびすとも」がいて、真ん中に剣があってこれが「くさなきのけん」なのですが、空中に浮いているような・・・??そのような違和感をもったアナタはえらい。
 一般的に思い描かれている「ヤマトタケル草薙剣を使って草をなぎはらう」イメージは、実は『古事記』の物語に基づいたものです。

是に、先づ其の御刀を以て草を刈り撥ひ、其の火打を以て火を打ちだして(以下略)

(景行記)「其の御刀を以て草を刈り撥ひ」の主語はいうまでもなくヤマトタケルです。ところが『日本書紀』はちょっとおもしろい話になっています。

王、欺かれぬと知しめして、則ち燧を以て火を出して、向焼けて免るることを得たまふ。一に云はく、王の所佩せる剣、藂雲(むらくも)、自ら抽けて、王の傍の草を薙ぎ撥ふ。是に因りて免るること得たまふ。故、其の剣を号けて草薙と曰ふといふ。

(景行紀四十年是歳)
 ヤマトタケルの「藂雲」という名の剣が、自然に抜けて(自ら抽けて)、周囲の草を薙ぎ払ったというのです。上の『倭年代記』のような挿絵は、この『日本書紀』の記述に基づいているわけです(本文にも「宝剣みづから抜て」とあります)。まさに霊剣!
 後世、このように描かれることは極めて稀になったと思います。まあ、ヤマトタケル自身が活躍したほうがサマになりますからねw 些細な小ネタですが、みなさまも少し注意して探してみてはいかがでしょうか。