「ついつい集めてしまうもの」――旧所有者が古本に残していったもの

 今週のお題「ついつい集めてしまうもの」(今週のお題は、「ついつい集めてしまうもの」です - はてなダイアリー日記
 仕事(趣味)の関係で古書をよく購入しますけど、ページの合間に残されていた物を手にして旧蔵者のことに思いを馳せることがしばしばあります。いろいろな物が挟まったまま売りに出されていますよね。押し花・押し葉もたまにあって、少し嬉しい気分になったり。処分するわけにもいかず、集めています。
 一番多いのは、著者からの謹呈票でしょうか。無記名がほとんどですが、謹呈先の「〇〇先生」「〇〇様」が書かれている票を挟んだまま古書店に売り払うのは、少し具合が悪いと思うので注意すべきではないかと・・・。蔵書印と同じで書籍の来歴がわかるのは良いのですが。意外と少ないのはしおりで、意外と多いのは領収書・納品書の類。名刺も見かけますね。しおり代わりに使っているのでしょう。
 手元のコレクションからいくつか。一つ目はお気に入りで、やはりしおりとして使われていたであろう、切り紙。

大陸の民芸品の一つでして、実は解説文も残されていて、

「ことに現在、勝利のうちにおしすすめられつつあるプロレタリア文化大革命のなかで」のくだりが当時の時代の空気を感じさせておもしろい。
 お次は、図書の寄贈者名を図書館が明記するために貼る票があるのですが、これは未使用の珍しい古物。

東京帝国大学附属図書館 寄贈」
 最後に、ハガキ。驚くかもしれませんが、私信が挟まったままということが結構あります。上でも書きましたが、古本屋に本を持ちこむときは個人情報の管理に重々気をつけましょう。

「毎度御引立を蒙り有難く厚く御礼申上げます さて先日売切にて失礼しました数江教一著末法思想一冊又入手しました 御送り致しませうか御伺いします 値段は前回と同じ六八〇円に送料六〇を御願いしたく存じます/先は右御伺いまで/十一月四日」(1961年)
 ちなみに、ここで言及されている「数江教一著末法思想」とは、数江教一氏『日本の末法思想』のことでして、名著です。

日本の末法思想―日本中世思想史研究 (1961年)

日本の末法思想―日本中世思想史研究 (1961年)