「もし二十歳で気がついたのならば・・・」(『朱子語類』巻七)

 遅ればせながら手にしたよ。

『朱子語類』訳注〈巻7・12・13〉

『朱子語類』訳注〈巻7・12・13〉

・・・昔の人は子供が食べたりしゃべったりできるようになるとすぐに教育していたので、一歳の子供には一歳なりの修養があった。そうして二十歳くらいになれば、聖人になるべき資質はすでに十分[徐禹の記録「三分」]出来上がっていた。大学ではそれに磨きをかけるだけでよかったのだ。いま小学の時期をすっかり失してしまったとしたら、後戻りして取り戻すことはできないのだから、今の地点でしっかりと足元を固め、これまでの日々の欠けた分を補填し、これからのために種[徐禹の記録「根株」]を植えるしかない。もし二十歳で気がついたのならば、二十歳からしっかりと足元を固めてやっていくしかないのだし、三十歳で気づいたのならば、三十歳からやっていくしかない。たとえ八、九十歳になってようやく気づいたとしても、その時の状況に基づいて堅牢なとりでを固めるように強固な意志でやっていかなければならない。

(11頁(巻七【10】))
 朱熹のことばには叱咤の語気があるのでしょうけど、朱熹は晩学に対して決して希望を捨てていない、強い期待を抱いている、と受け取られる。
 およそ大学者は、晩学あるいは歩みの遅い者に対して粘り強く励まし続けるのが常ですよね。