『上宮聖徳法王帝説』(岩波文庫)旧版と改版

 来月刊行予定 → http://www.iwanami.co.jp/topics/annai/annai.pdf(pdfファイル直リン)

 楽しみですね!今回わざわざとりあげたのは、旧版も話題にしたこと(もう8年近くも前か・・・)があったからです。『上宮聖徳法王帝説』(第三刷)・付正誤表 - Cask Strength 大変読みづらいですし、今にして思えば正誤表を丸ごと転載するのもいけなかったかもしれませんが、とりあえずそのままにしておきます。
 ところで、今回の新刊案内では『上宮聖徳法王帝説』の底本が何かわからないので、大いに気になっています。旧版は「平子尚氏自筆の上宮聖徳法王帝説【狩谷望之証注・平子尚補校】」本でして、狩谷望之(棭斎)と平子尚(鐸嶺)の注釈も本文に取り込んだ上で、それを読み下して校注を付すという非常に便利な体裁でした。なので、知恩院本の影印やそれを底本にした研究書はあるのですが、この岩波文庫本も必ず手元にあったほうがいい。改版はどうなっているのでしょう。

(旧版15頁。見開きの右(偶数)頁に本文、左(奇数)頁に上のように読み下し文。大きい字の部分が『上宮聖徳法王帝説』本文で、「〇」以下が狩谷棭斎の証注、「◎」以下が平子鐸嶺の補注になります)
 『上宮聖徳法王帝説』はなかなか解決できない疑問点が多く、そもそも書名が難解(「帝説」とは何ぞや)なのですが、それは後日またとりあげるとして、たとえば本文で引用されている法隆寺金堂釈迦三尊像の光背銘が大問題の一つでして、「鬼前王后」と「干食王后」をどう処理するのかが興味深いところです。これがそれぞれ「間人大后」(聖徳太子の母)、「干食」は「かしはで」(膳)ではないか、というところでは意見はだいたい一致しているのですが、どうしてそうなるのかの良い説明がありません。
 なお、改版校注者の東野治之氏は「干食」について木簡を傍証となさったことがあるのが注意されます。大いに説得力のあるものです。

上宮記逸文(『聖徳太子平氏伝雑勘文』下三所引)に、カシワデを「食部」ないし「食」と表記するのが参考となる。またさらに直接には、飛鳥の石神遺跡出土の木簡に「大鳥連淡佐充干食」、「□部白干食」などとみえるのも傍証となる。正倉院文書や藤原宮木簡では、仕丁の廝が「干」と表記されるが、「干」は恐らくこの「干食」の略で、「干食」は廝、即ちカシワデを表記したものに相違あるまい。先の木簡は、仕丁か衛士に充てられたカシワデの名を記していると考えられる。

(『日本古代金石文の研究』(岩波書店、2004年)第3章「法隆寺金堂釈迦三尊像の光背銘」119頁)