紅葉に鹿(3)

 紅葉に鹿と来れば、まずこの歌を挙げるべきではないか、という声が聞こえてきそうです。

奥山に 紅葉ふみわけ 鳴く鹿の 声聞く時ぞ 秋は悲しき

百人一首にもとられている有名な歌で、お叱りごもっともなのですが、躊躇すべき点がなきにしもあらず。果たして、この歌の「紅葉」は花札の図柄のような、楓の紅葉でしょうか。
 これはもともと『古今和歌集』所収歌で、この歌の後には、「秋萩に うらびれをれば あしひきの 山下とよみ 鹿の鳴くらむ」「秋萩を しがらみふせて 鳴く鹿の 目には見えずて 音のさやけさ」「秋萩の 花咲きにけり 高砂の 尾上の鹿は 今や鳴くらむ」と、鹿と萩とを詠んだ歌が三首並び、さらに萩を詠んだ歌が六首続くという構成になっています。この歌の「紅葉」も、萩が色づいたものだと考えるのが穏当でしょう。少なくとも、『古今和歌集』の撰者たちはそう考えて歌を配列しました。
 萩は鹿の妻だということを思い出してください(「萩に猪(3)」)。花札において、萩を猪に奪われた鹿の悲哀が一層際立ちます。

妻恋ふる 鹿の涙や 秋萩の 下葉もみづる 露となるらん

(『貫之集』巻四)萩の下葉を紅葉させる露は妻を恋焦がれる鹿の涙なのであろうか、といった意味ですが、「下葉」が紅葉して色が変わるというのは、相手が心変わりしたことの比喩です。