特別展覧会「シルクロード 文字を辿って――ロシア探検隊収集の文物」(@京博)(4)
いろいろと細かいことが目につきます。
「72 王梵志詩集(一百一十首本) 1巻」
図録114頁。参考文献として朱鳳玉『王梵志詩研究』上・下(学生書局)が挙げられていますが、項楚『王梵志校注』上・下(上海古籍出版社)も挙げないと片手落ちです。むしろ、項楚氏の注釈の方にこそ学ぶことが多くあるように感じます。
字を改めること
「世間不信我」で始まる五言詩の第九句を御覧ください。
この「智恵渾一愚」を、朱鳳玉氏は前掲書で「智慧渾一愚」と翻刻します。「恵」を「慧」に改めているのです(この改訂は陳慶浩氏の研究に依拠しています)。写本の字が誤っているか、誤っているとしたらもともとは何の字であったかを判断することは容易なことではありません。ましてや、当写本のようにほかに比較する資料がない場合は特にそうです。今回のようなケースはどのように考えればいいのでしょうか。
仏典を読んでいると「智慧」はいくらでも出てきますが「智恵」はほとんど見かけません。想像するに、「智恵」を「智慧」と改めたのは、どうもそのような実際の用例が判断材料になっているようです。
しかし、原本の字は最大限に尊重するのが原則でしょう。たしかに、仏教語としては「智慧」が一般的であるのは間違いないですが(図録64など)、「智恵」が全く出てこないわけではありません。しかも、王梵志は別の詩(「不語諦観如来」で始まる詩)で「常持智恵刀剣」という表現を使っています。「智恵刀剣」というのは『維摩経』(菩薩品)に出てくる「以智慧剣、破煩悩賊」という有名な一節にもとづくものなので、王梵志においては「智慧」を「智恵」と書くこともあったと考えるべきではないでしょうか。
項楚氏の前掲書は、そこらへんは流石というべきか、「智恵」のまま翻刻し、「按「恵」通「慧」」(『王梵志校注 下』832頁)つまり「恵」字と「慧」字は通用する、と述べています。
わかりやすさに対する不安
「智恵」を「智慧」に直すのは、ある意味で素直ですし、わかりやすい作業です。しかし、同時に、わかりやすいというのも少し不安にさせることもありますね。
たとえば、「世間不信我」詩の最後の句の第四字目は、墨の汚れで判読しづらくなっています。
朱鳳玉氏はこれを「坦」と翻刻しました。しかし、「坦楽」という表現はどうもわかりづらい。それに対して、項楚氏はこれを「快」とよんでいます。文意は通じますし、何しろこちらのほうがわかりやすい。
しかし、偏の部分をよく見ると、最後を撥ねています。りっしんべんでも撥ねることは普通にあるのですが、この王梵志詩写本に限っては、りっしんべんは最後きちんとトメているものばかりです(一つ上の「恒」字もそうですよね)。これをりっしんべんではなく、つちへんだと判断するのは、わかりにくさとは別に、それなりの根拠がある。
図録の写真では限界があるので、どなたか実地でこの墨の部分を睨んできてくれませんか。