日蝕で邪馬台国の位置はわかるか

 昨日のエントリ(全日本邪馬台国論争大会 - Cask Strength)が多くの人の目にとまったようですが、つい先日、朝日に邪馬台国関連の記事が出ていたことを友人から私信で知らされました。

http://www.asahi.com/science/update/0328/TKY201003270428.html

 結論から言えば、当該記事でタメになったのは、

月の引力などの影響を受け、地球が1回転する時間は少しずつ長くなっている。このため、約2千年前に起きた日食の場所をシミュレーションするには、時刻の補正が必要だった。

天文学的知見の部分でして、肝心な本論に関しては、その前提が危ういのでこれでは何も解決しないということです。

推論の根拠は日本書紀だ。天照大神(あまてらすおおみかみ)が天の岩屋戸(いわやと)に隠れ、辺りが闇に包まれたという神話が描かれている。記述が具体的であることから、この描写は皆既日食を指しているという解釈がある。天照大神卑弥呼だったのではないかとの説もあり、岩屋戸神話は邪馬台国など文明地で実際に見られた皆既日食に基づいているのではないか、と推論した。

「という解釈がある」「ではないかとの説もあり」「いるのではないか」と、弱い推論の上に推論を重ねるのはまさに砂上の楼閣。これではとても説得力はありません。
 すでに松村武雄『日本神話の研究 第三巻』(1955年)の時点でイハト籠りを単純に日蝕と結びつける説には疑問が投げかけられていますし、そもそも日蝕であろうがなかろうが、太陽をおびき出すというのは日本以外にも伝わっている類型的なモチーフなのですから、それを現実の出来事に即して考えようというのは躊躇されます。
 あと一つだけこの記事で不思議な点を。

2人は朝鮮の歴史書「三国遺事(さんごくいじ)」に出てくる「新羅(しらぎ)地方で太陽の光が消えた」との記述に着目、これが新羅で見えた158年の日食と特定した。

 多分これは「第八阿達羅王即位四年丁酉。・・・是時新羅日月無光」(『完訳三国遺事』87頁)の部分を指すのだと思います。丁酉というのは西暦157年なので、それはどうなのかということも疑問ですが(翌年になってということでしょうか)、「日月無光」(太陽と月が光を失った)とあるわけですから、これも単純に日蝕の話なのかどうか。たしかに皆既日食なら、言いようによっては日も月も光を失うのですが・・・。