「正しからざる引用と批判の「形」」

 御無沙汰しました。古代のパワースポット(大学自体もパワースポットのような感じでしたw)より戻ってまいりました。
 いろいろと郵便物もたまっていたのですが、『汲古』誌57号も拝受。そのなかの平勢隆郎(「せ」と「たか」の字が出ないのでこれにて失礼します)氏「正しからざる引用と批判の「形」――小沢賢二『中国天文学史研究』等を読む――」がちょっとすごい。

 本稿は、別に用意した『正しからざる引用と批判の「形」――小沢賢二『中国天文学史研究』等を読む――』(「元原稿」と呼ぶことにする)を短くまとめて、要点のみを述べたものである。

 他人(B)を批判する場合、まず、その他人の非とすべきところ(Q)を紹介する。そして、そのQが非である理由を述べて、本来あるべき見解(X)を自己(A)の見解として述べることになる。
 元原稿がたくさんの事例をもって紹介したのは、QがBの見解ではない、という点である。そして、なぜかXがBの見解であったり、またはそのBの内容に若干の付け加えをしたりしたものであったりすることを述べた。
 賢明な読者は、この批判の形が、本来あってはならないものであることを、すでに了解されたことと思う。

 以上、小沢氏標記著書については、平勢を含む多くの論者について(元原稿は、決して網羅して論じたのではない。目についた箇所を扱うだけで多数にのぼったのであるが)合計四八点にわけて正確でない引用をご紹介した。

 正確でない(Qになっている)という指摘だから、反論には、正確である、という内容が示されるはずである。読者は、問題になった著書・論文を片手に、今後なされるであろうやりとりにつき、ご判断していただけると有り難い。
 正確でない(曲げられた)引用をもとに、いわば幻想を語った批判は、現実には批判になっていない。幸いなことに、今にいたるまで、平勢批判と称されるものは、こうした幻想によるものだけのようである(誤植訂正等は昔から大歓迎)。本来あるべき作業を、積み重ねられて、本来あるべき批判をなされることを今後も期待したい(すでに十数年前から期待すると述べて、今日にいたっている)。

 この「元原稿」については無償配布されるようです。

なお、元原稿は、汲古書院のご厚意により非売品(無償)の冊子としてご提供できる。興味と関心がおありの方は、汲古書院までご一報くださると有り難い。