梅堯臣「月蝕」詩――月蝕の際に鏡を叩くこと

 この雲の様子だと首都圏で皆既月食を見ることはほぼ絶望的なようです。無念・・・
 昨日話題になったことで、月蝕を題材にした和歌とか漢詩というのはあるのかと。ほとんどないという結論でいいと思うのですが、たとえば古いところでは、日蝕や月蝕が不吉だと詠んだ「十月之交」(毛詩・小雅)があって、あるいは詩のなかに月蝕を取り上げた作品はチラホラあるのですけど、月蝕そのものをぶっつけに主題にした作品は思いつきませんでした*1
 ところが、ついさきほど別の件で梅堯臣の詩集を見ていたら、「月蝕」と題する詩が目に飛び込んできまして。これはその珍しい例ということになります。梅堯臣らしいですね。

有婢上堂来
白我事可驚
天如青玻璃
月若黒水精
時当十分円
只見一寸明
主婦煎餅去
小児敲鏡声
此雖浅近意
乃重補救情
夜深桂兎出
衆星随西傾

下女が座敷にやって来て、わたしに驚くべき事態を告げた。
空はまっさおなギヤマンのよう、月は黒い水晶のようですと。
こよみの上ではまんまるなはずであるのに、一寸ほど明るいだけ。
妻は餅を焼きにゆき、子供は鏡をたたいている。
これは浅はかな考えではあるが、月をもとどおりにしようという気持はほめてやってもよい。
夜もふけて月の桂と兎が出、もろもろの星もそのあとを追って西に傾いた。

(154〜5頁)
 筧文生氏は注で「まるい餅を焼き、まるい手鏡をたたくのは、どちらも満月にもどることを祈るまじないである。こうした風習が何時ごろあったのか未詳。博雅の教えを乞う」とおっしゃっています。本書は1962年の刊行(架蔵本は第3刷1971年)なのですが、民俗学の分野ではすでに解決していることかどうか、気になります。わたしの知っている範囲では、『開元天宝遺事』(巻下・天宝下)の「撃鑑救月」で

長安城中、毎月蝕時、即、士女取鑑向月撃之。満郭如是、蓋云救月蝕也。

と言っていて、これがどこまで遡るかということです。
 余談ですが、別件で見ていたという梅堯臣の詩とは「祭猫」(猫を祭る)詩です。

*1:盧仝の例の「月蝕」詩は風刺詩です。